Twitterへのバカ写真投稿と意識高い人に共通する病
冷蔵庫に入ったり、食材の上に寝っ転がったりする様子を写真に撮り、Twitterに投稿するのが流行っているようです。
朝日新聞デジタル:(ニュースQ3)モラルなきアルバイト店員の悪ふざけ、対策は? - ニュース
一部には、これを安いメニューを安い人件費で提供するいわゆる「マックジョブ」(個人的にはとても嫌いな表現です)に、その理由を求める人も居るようですが、それは違うと思います。高級ホテルや会員制のクラブなどでも、同様の事件が起こっているからです。また、コンビニはそもそもディスカウントじゃなくて定価販売してるよね、という指摘もありました。
フランチャイズ契約を即刻解除されたコンビニ店もありましたが、気の毒なのはオーナーです。
もちろん監督責任は免れませんが、バイトの心ない行為で積み上げてきた物が一瞬で失われるわけですから。
@a_matsumoto 仕事失うといってもアルバイトだったりしますし、職歴に傷がつくわけでもない。ある意味でやり得になってますね
— 神田憲行 (@norikan2) August 6, 2013
では、なぜこんな事が流行っているのか?
実際に当事者に理由を尋ねてみたいところですが、いわゆる「意識の高い人」にも共通する一種の病がそこにはあるのではないかと考えています。
- (非常に観測範囲の狭い)周囲に迷惑を掛けていないのだから良いではないか、という判断。
- 日常的に近くにいる「大人」が適切なフィードバックを与えていない。そういう人を遠ざけている。
- RTなどソーシャルメディアでの反応をポジティブな「評価」と勘違いしている。
仮に、このように共通する背景がそこにあるとすると、アクセス向上のためにはいわゆる「炎上」を良しとするブロガーさんが、こういった事件の理由を職場環境に求めるのは、滑稽だし彼らが言うところの「上から目線」な話だなと思った次第です。
(2013/08/073:16追記)
これを書いてから、店長さんの以下のエントリーを知る。
「うちら」の世界 - 24時間残念営業
そう、彼ら(バイト)がバカだ、という一言では片付けられないんですよね。
とはいえ、明らかに損害を与えている訳で、まず責められるは彼らだし、社会的な責任を認識してもらう必要がある。(本当は一線を越える前に、周囲の大人が諫めないといけないのだけれど)
バイトの責任を明確にする、という意味ではお店の(特に契約を切られたような)オーナーが、バイトを訴えるような例があっても良いはず。あったっけ?
— まつもとあつし (@a_matsumoto) August 6, 2013
「上から目線」は評価の証
最近よく目にする、これらのキーワード。
その関係はよく以下のように解説されます。
「ソーシャルメディアの一般化によって、フリーランスであっても、スキルのPRが行えるようになり、そこで仕事の依頼を受けることができるようになった。働く上でも、場所に縛られないノマドワーキングが可能に。そこではまずフォロワー数やKloutで数値化されるような影響力が評価のレバレッジを効かせるための重要な要素となる。したがって、貨幣経済の手前に評価を指標とするような経済圏が誕生した」
うん、まあそうなんだと思います。日経ビジネスが定期的に発表しているような企業ブランド力ランキングと同様、個人ブランドの価値がTwitterによって可視化しやすくなったことは間違いない。
会社や国による社会保障に期待が持てない中、個人で生きていくために、ソーシャルメディアを活用しよう!というかけ声は前向きで、就職難の中、学生にとっても魅力に溢れるものにも映るようです。
でも、どうも違和感が否めない。ネット上でも、いわゆるソーシャル・ノマド礼賛に対する反発が散見されます。その理由はなんなのでしょうか?
▼残念ながら脇が甘い
そんな疑問を持っていたのですが、ネットを介してだけでは分からないこともあるのかなと思い、イケダハヤトさんが登壇するワークショップとイベントに2回連続して参加しました。自分が登壇するイベントとか、議員会館での取材を縫って……もはやファンの域に達しています(笑)
最初に参加させて頂いたのは、ガ島通信の藤代裕之さんが代表運営委員をつとめるJCEJ(日本ジャーナリスト教育センター)主催のこちらのイベントです。
それで見えてきたことは、やっぱりイケダさんはまだまだ経験が浅い、ということでした。厳しいようですが、これは自分が実地で感じたことなので、敢えて指摘します。
イベント前半は「分かりやすいデザイン」についての講演でした。そこでイケダさんはAJAX等をフル活用したインタラクティブな奨学金募集サイト と、名前は出しませんが、よく楽天市場にありそうな縦長・情報一杯のページを比較されました。
その上で「言わずもがな前者の方が分かりやすいですよね」として、イケダさんは後半のワークショップにつなげて行かれました。けれども(これは後半に入る前に思わず質問しちゃったんですが)そこに根拠はありませんでした。
「楽天市場のページはなぜああいうデザインなのか」という一連の議論をみてもわかりますが、実際コンバージョンが高くなるという根拠があるから、ああいったデザインになるわけで、見た目の美しさやデザインとしての洗練だけでは測れないものがそこにはあります。
つまり、コンバージョンレートのような数字とデザインはセットで語られるべき、という当たり前の話であります。イケダさんは、トライバルメディアハウスにおられたマーケターなので、その点は抑えていると思っていただけに残念でした。
「善し悪し」の基準が明確かつ適切でなければ、後半のワークショップの価値(アウトプット)は曖昧なものになるのでは……という不安は後半現実のものに。*1
後半は、イケダさんが支援しているというNPO法人が、助成金を得るために用意したプレゼン資料を見ながら、参加者でそれを「わかりやすい」ものにするという内容。詳細は開示しない方が良いと思いますが、プレゼンの概要は「鬱、あるいはその兆候のある人を、周囲の人々が傾聴のスキルを磨くことで支える」というもの。(どことなく「うつっぽ」に似る・・・)
改善に向けた題材に選ばれるだけあって、さすがに資料のデザインにも問題があるのですが、そもそもコンセプトとか発想のスタートラインが、相当脇が甘いわけです。
- 鬱病患者の悩みを聞く、会話をするというのは医療行為にあたらないか?
- 鬱病患者への接触に問題があり、かえって症状が進行してしまったり、あるいは関与者が悪い影響を受けた場合に誰が責任を取るのか?
- 資料を見る限り、そのあたりのリスクをヘッジする専門家のアドバイスや監修を受けていない。
うーん微妙と思いながら、そもそもこのピッチって幾らの助成金の獲得を目指しているんだろう?と思い検索したところ、(これも名前を出しませんが)総額100万円で、5プロジェクトが採択されているということが分かりました。
つまり、1プロジェクト20万円程度。採択実績を見ると、子供と野外で遊ぶとか、映画を上映するとかそんな感じ。「鬱病をなんとかしたい」という心意気やよし。でも、20万円では継続的・包括的な取り組みは期待できない。事業計画も、リスクとの向き合い方も全く脇があまい。社会的包摂云々以前の問題です。
イケダさんの言う「問題意識を重視する」には大いに共感しますが、残念ながら、ワークショップに供してデザインを議論する前に、お互いのためにも黙って突き返す(べき)レベル。
イケダさん、ワークショップ参加者の方々の発表を聞いて「すごく助かりました」とコメント。たしかに、これだけダメが出れば、無償のアドバイス業務としては十二分過ぎる成果だと思います。
▼脇の甘さをどう受け止めるか?
さて、イベントが終わってから、主催者の藤代さんと立ち話をしていたのですが、そこでの藤代さんのコメントがとても印象的でした。ご本人のご了承得てご紹介します。
「色々批判があることは知っているけれど、直接話を聞いてみないと分からないこともある。不十分な点はあるだろうけど、若いけれど考えていることは分かったし、JCEJはチャレンジを応援する場でもあるから」
僕はこれを聞いて、なるほど!と思いました。この文章の前半で書いたように、プロジェクトを評価するという観点でいえば、もう全然ダメ、お帰りください、というレベル。けれども、一人の若者としてみると、真面目だし、悪いことを考えているわけではないし、よく事例を研究しているし、地頭も良い、何よりも物腰が柔らかい(←ここ重要)。
ところが、仮に対等なビジネスパートナーとしてみると落第点で、高広伯彦さんが色々仰る批判に僕もまったく同感です。でも、藤代さんは、JCEJに集う若者たちを見るのと同じ視座にたっている。そういう目線だと「がんばれよ」となる。
つまり、イケダさんの嫌う「上から目線」とは、実は彼を「応援」している年長者の視線=暖かく見守る視線、なんですね。逆に、イケダさんを対等な立場に置くと「評価」して、彼が表明する「社会を変えてやる」という思いを「正面」から受け止めると、その脇の甘さ、結果を伴わない言動を指摘・批判をせざるを得なくなる。立ち位置を評価しているからこその厳しさになるわけです。
こんな具合に、ご本人の認識とおそらく180度異なる構図が見えた、というだけでもこのイベントに参加した価値があったなあ、と思いました。
▼結局は世代間の話に
そして月曜日、衆議院議員会館で著作隣接権に関する勉強会に出たあとで、こちらのイベントへ。
リアル経済と知財をどう結びつけようかという地上戦を目の当たりにしたあとに、ふわふわした話を聞くことになるんじゃないかなと心配したのですが、東さんがそこは的確な指摘をされていました。そのコメント(お話しを伺いながらのTwitter投稿の引用につき、一字一句このとおりではありません)をご紹介してこのエントリーを締めたいと思います。
東「個人についてこうなった方がいい、というのと社会についてのことを混ぜてはいけない。自己啓発と同じで全員が勝ってしまったら勝者はいなくなる。カリスマは希少財。個人の価値で生き残っていけない人をどうするか、が重要。評価経済で社会保障の破綻を乗り切る、というのは言語矛盾に等しい」
このコメントがイベント冒頭すぐ出て、もう結論が出てしまった感がありました。東さんはさらに続けます。
東「例えば(津田くんのように)政治メディアを作って、政策に影響を与えるために人を雇う、人を育てるためにはおカネが必要。自由人が集ってフラットな関係で物事にあたっても、そこにはコミットメントはない。月収20万とかじゃ無理。ハチロク世代の主張は『若いから』としか言いようがない」
この2つめの指摘は、東さんも15年前はそうだった(一人で出来る範囲でやればいいし、フラットな仲間で集まって取り組めばなんとかなると思っていた)ということを受けての発言でしたが、僕はそれを聞いてこう思い、呟きました。
まあ、しかし東さん世代と違って、皮肉にもイケダさんが仰るように社会保障に余裕がないなかで、フリーハンドで社会に放り出されて、「残酷な」評価経済に身を投じる若者、という構図。俯瞰すると笑えない話だなあと。自殺者増えている、という記事をみると尚更。
15年前の我彼は「若さ」と「技術(=当時はネット、いまはソーシャルメディア)に後押しされた感覚」では共通するものの、社会の厳しさは現実問題として深刻さを増しています。突き詰めていくと世代間に共通するものもありつつ、そこには乗り越えがたい断絶があるわけです。
東さんからの問いかけに対して、家入さん・イケダさんからは明確な反論はありませんでした。個人にフォーカスを当てている(?)家入さんはそれでも良いかもしれませんが、社会貢献、社会変革に取り組むというイケダさんにとっては行動原理の根幹に関わる問題です。東さんからの指摘を受けて「いずれは100人規模の会社をつくりたい」とイケダさんは応じていましたが、それはBLOGで雇われない生き方を推奨されることと矛盾しませんか、というのが率直な感想です。
ぜひイケダさんには諸々咀嚼した上での感想や思いを聞きたいと思いました。僕自身も苦い経験がありますが、このあたりのボタンの掛け違いは、やがて自己欺瞞に変わって、しんどくなりますので。
以上、上から目線というよりも、イベントへの一参加者という下からの目線でまとめてみました。
感動的な作り話とソーシャルメディア
Facebookはバカばかり - Hagex-day.info
こちらでほぼ言い尽くされている感がありますが、なぜこの件気になるのか自分なりの考えを整理。
(1)真贋について
この手の議論で必ず出てくるのが、「真贋はともかく良い話じゃないか」、「そんなこと言ったら小説や映画でも感動できなくなるじゃないか」という反論です。
個人的には、お話しや教訓の内容がフィクションであること自体は問題視していません。
ただ、その内容が必ずしもフィクションとして扱われていないことは大いに問題だと思ってます。
すでに上記記事でも指摘されていますが、原発事故の後のデマとこうした都市伝説はベクトルは違えども性質はよく似ています。現実と混同しやすく、リーチが広いテレビドラマで番組の最後に「この物語はフィクションです」と必ず入る意味を改めて考える必要があります。
(2)拡散について
デマの語源であるデマゴーグは、ギリシャの煽動政治家のことです。煽動には人々の口コミ、つまりソーシャルメディアでいうところの「拡散」が重要な役割を果たします。ソーシャルメディアの興味深いところは、これが可視化されることですが、今回の投稿も最後が「人種差別に反対する人はシェア(拡散)」となっていました。
ネットでは残念ながら愉快犯が少なからず居ます。
2ちゃんねるで創作されたデマや作り話を、以前ならmixi、現在ではFacebookやTwitterに「放流」して、それが拡がって行く様を見て、嗤(わら)っている人がいるということはもっと知られていても良いことだと思います。
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(3)内容について
このエピソードは「逆差別」という要素も持っていて、必ずしも人種差別反対というニュアンスだけでは捉えられません。もともとがブラックジョークだったということにも注意を払う必要があります。例えばこれが、日本の航空会社でアジア系の人種を扱っていたら、と考えてみるとなんとなくイメージが掴んでいただけるかもしれません。
デマや都市伝説は、人の持つステレオタイプをうまく利用します。「ハーバード大学」や「ビルゲイツ」なども人のステレオタイプを刺激するキーワードでしょう。大したことがないエピソードだったり、事実関係に間違いがあっても、これらの枕詞がつくことで「やっぱりそうだったか」となるわけです。人の弱さを突いているとも言えるでしょう。
(まとめ)
真贋・拡散・内容と考えて行くと、いわゆるソーシャルメディアの仕組み*1がまだ未整備なところに、そこに新たに参加するユーザーが増えることで、リテラシーの問題が表面化しているということになると思います。
上記記事の拙いところは、古参ユーザーが新規ユーザーを馬鹿にしているスタンスをとっていることです。たしかに頭から「バカ」と言われては、分かる話も分からなくなることもあるんじゃないかと。
ということで、言いたいことは近そうなんですが、丸く言い換えて整理してみました。
またまたアルクさんの教材をモニターさせていただきます
以前、英語通信教材を手がけるアルクさんのモニターになったことがあります。
「TOEIC800点チャレンジ」というもので、その名の通りの内容です。
紙の教材と、CDの教材(iPhoneなどに取り込み可能)と模擬テストで、スコアの底上げを図るものですが、効果てきめんで、840点を獲得することができました。
しかし、仕事で使えるレベルでは自信をもって「話せない」・・・。
実は、仕事でも海外のIT企業へのインタビューなど打診が出てきていて、本当はお引き受けしたいのですが、迷惑を掛けてしまっては…と思って、ちょっと腰が引けてしまっていたのでした。リスニングと筆記が中心のTOIECでは、このスキルを磨くのはやっぱり難しかったのかも知れません。
そこで、アルクさんに「聞いたり話したりを底上げするプログラムは無いんですか?」と問い合わせたところ、「これだとどうでしょう?」とご提案を頂きました。さすが、アルクさん、死角がない。早速申し込んでみました。
実は一ヶ月くらい前に届いていたのですが、ようやく開封(汗)。担当者様、すみません。
今回は「オンライン版」を選択したので、CDは同梱されていません。
マイクの存在が「話す教材」だということを猛烈にアピールしています。
実は、わたし、以下のような本も書いているのですが、両者の違いなども意識しながら使っていこうと思います。
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週一回くらいの更新を目指してリポートしていく「つもり」です。
次は「使ってみた」をまとめるべくがんばります。(年末進行のまっただ中ではありますが・・・)
読書メモ公開「形なきモノを売る時代」
先月上梓した「スマート読書入門」(技術評論社)では、書籍のデジタル化から、読書メモを取ったり、感想をソーシャルメディアを通じて共有・交流するといったことを提案しています。
スマート読書入門 ?メモ、本棚、ソーシャルを自在に操る「デジタル読書」 (デジタル仕事術)
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形なきモノを売る時代 タブレット・スマートフォンが変える勝ち組、負け組 (ビジネスファミ通)
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とはいえ、綿密な取材と多角的な考察でうならされるところ多数。
P29 パソコンにケイタイ電話の発想を取り入れた?
P33 モトローラの話題もいち早く取り入れられている、さすが!
P.39 タブレットは「テクノロジードライバ」
P.52 代替するものだろうか?むしろ補完として見るべきでは?
P.72 テレビのビジネス構造にはもう少し説明あった方が一般の読者にはわかりやすいかもしれない。
P.74 Zガンダムの視聴数アップはプロモーションのおかげもあるのでは?
P.160 ゲーム機のネットワーク化による収益性の改善には対して西田さんは懐疑的(後に夏野剛さんも同様の見解を示す)
P.166 「読むべきものが無いわけではない」については異論あり。確かに書店在庫が無いものは便利だか、売れ筋だけの「駅前の本屋さん」が電子書籍に求められる姿だろうか?
P.171 ネットでは定番化の圧力が強い→ここからのリアル店舗とネットストアの相違点の考察は興味深い
P.175 マーケティングの古典的な問題が解決されていないと言うよりも、既存のプレイヤーが十分にそこに対応できていない、あるいは対応するだけのリソースを割けていない(費用対効果に合わない)のが現状ではないかと思う。そういう意味でも、パッケージ大手が新興ソーシャルと競業するのは合理的だということが分かる。
P.180 クエリーシーカーによる分析は興味深い
P.184 アクトビラがここでようやく登場するが、当初は国、そして現在も大手各社が参画しているにも関わらずインパクトは薄い。
P.186ネットフリックスABテストを紹介。方法論はネットであるべき、主導権はものづくりであるべきではない。なるほど。
・Andridマーケットの「酷さ」は独自マーケット前提だからではないか?むしろそこに利点があると考える。
P.192 「アプリの勝負はリリース後72時間」
P.201 この図は繰り返し参照したい。
P.206 ここからからイヴの時間を紹介。完成へのプロセスを楽しんでもらう。ただし余りにも完成度が低いと悪評につながる。
P.217 ウィンドウの同時展開は違法配信対策の一面も。
→イヴの時間は単なるネット発アニメというだけで無く、Gyaoからニコニコに展開した緻密なウィンドウ展開があったことは注意しておきたい。このあたりは来年書籍にまとめる予定。
P.221 このあたりでライブというプレミア消費、例えばニコファーレ、ニコミュの事例、狙いもあわせて考えておきたいところ。
→またガンダムUCの劇場プレミアム上映は従来の劇場公開と異なり、プレミアムライブ的な位置づけにあることは注意しておきたい。興行収益そのものよりも告知効果を期待しているところは大きい。
私の取材の中でも「映像そのものの価値は無くなった」と刺激的なコメントがあったことを思い出す。一方で映像を巡る商品「モノ」てで儲けているプレイヤーもいる。つまりグッドウィルモデルの存在感が否応なしに高まっていると感じている。
メモ書きなので、脈絡ありませんが、本書を読まれた方、これから読もうとする方の参考になれば幸いです。
総合すると「形なきモノを売る時代」の先には「形なきモノを媒介として(相対的に価値が高まった)形あるモノを売る時代」がもうすぐそこまで来ている、というのが、私の実感であったりします。
いずれ西田さんとはまたディスカッションしたいという思いを強くしました。
企業に不満を伝えることについて
「今からおまえの名前は千だ。いいかい、千だよ。わかったら返事をするんだ ...」
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ちょっとまだ考えがまとまりきっていないところもあるのですが、取り急ぎ。
Facebookに続きGoogle+も、「偽名?と疑わしいアカウント」を停止していることが話題を呼んでいます。
実名なのにGoogle+のアカウントが停止されてしまいました。Googleは私に改名しろと言いたいんでしょうか。 - tokuriki.com
なんとなく、徳力さんのこの記事を読んでモヤモヤとしたものがあります。
たしかに、実名で登録しているのにも関わらずアカウントを停止されては良い気持ちはしません。
自動処理で疑わしいアカウントを抽出しているはずですが、そのアルゴリズムにも改善が求められるものでしょう。
Googleの他サービスと紐付いているため、アカウント停止の影響範囲も広いわけで、ユーザーへの事前通告はより積極的に行われるべきでしょう。
ということを前提に起きつつ・・・
モヤモヤを呼び起こしたのは、たぶんこの記事の記憶が強く残っているからだと思い至りました。
UCCのTwitterマーケティング炎上事例に見る、マスマーケティングとソーシャルメディアマーケティングの境界線 - tokuriki.com
去年2月のこの記事は、Twitterを使ったマーケティングに企業が試行錯誤している状況で起こった事件を、客観的に分析し、UCCさんに対してエールを送っています。
一マーケティング事業者である私が書くのもおかしな話ではありますが、今回の迅速な対応を見る限り、会社のカルチャーとしては、実はUCCはソーシャルメディアを上手く活用することができる可能性が十分あるのではないかと思ったりもします。
今回の炎上でUCCさんがTwitterアカウントを閉じてしまったり、ネットを通じた利用者とのコミュニケーションのチャネルを閉じてしまうことになってしまわないことを切に願いますし。
これに対して今回の記事では、
本名で停止されたら俺は一体どうすればいいわけ?
名前変えろと言うことですか?
(中略)
全自動で判断するシリコンバレー系の会社を、日本のマスメディアが叩くのも分からないでもなくなっちゃうなぁとか、無駄に余計なことをいろいろと考えてしまう金曜日の朝です・・・
と、かなり論調が違っているわけです。
個人的には、もちろん偽名検出のアルゴリズムなど問題は多々あることは同感しつつも、ソーシャル「メディア」について、いまアジェンダ設定するのはそこなんだろうか?たとえば、クーポンの問題や、位置情報は誰のものか、といった問題かなと思ったり、シリコンバレー系の会社って日本のマスメディアに押し並べて叩かれていたっけ?と思ったりして、たぶんその辺でモヤモヤを感じたのかなと。*1
まだ僕自身も答えは見つけられていませんが、企業に対してクレームを付けるのも、一種の対話だとすれば――特に「メディア」の冠を付けて向き合うとすればどういうアプローチが良いんだろう、少なくとも「快/不快」を超えた何かが要るんだろうな、などとなんとなく思います。
(参考)
FBでホットペッパーがスポット情報を登録しまくっている件 - hitoshi DAILY
isologue - by 磯崎哲也事務所: 日経ビジネスのPikuに関する記事について
ASCII.jp:既存iPhoneユーザーの2段階制パケット料金への移行が可に
#2011/10/01 追記
その後、こちらの件解決されたということで顛末を徳力さんの方でまとめておられます。
一取材者としての雑感(あるいは広報担当の方への切なるお願い)
- 作者: 本多勝一
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社出版局
- 発売日: 1984/01
- メディア: 文庫
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ネット公開後の記事の修正というのは、とても気を遣う作業だ。大手新聞社のそれと違って、自分の場合は事前に取材先に記事を見て貰うことが多い。
もちろん、それによって記事が丸く、つまらなくなってしまうリスクもある。
けれども、そういった守るべき点については編集さんと一緒に先方と協議するようにしている。
いろいろ紆余曲折を経て記事は公開される。
それでも公開後に、各所からの反応を受けて「直して欲しい」と言われることがある。
いろいろ事情はあると思う。想定していないところからクレームが付いたということだってあるだろう。
Webだから物理的に直せるはず、という思いもあるだろう。
だから、そのあたりの事情を察して応じる(正確に言えば編集権のある編集部に修正を依頼する)こともある。
ただ、そのとき「最初の記事が間違っていたから正すのは当然の作業だ」という風には絶対言って欲しくない。
まずこの「正しさ」というのが、立場によって様々だ。端的に言えば「あなたにとって正しくても、そこで様子を見聞きした自分からすれば正しくない」ということが起こりうる。
というか、もちろん下調べして臨んでいますが、いやそれ中の人じゃないとわかんないでしょ、みたいなことも結構「調べれば分かること」などと言われたりする。
調査のコストをそちらが負担頂けるなら、そうしますが、とのど元まで出てグッとこらえる。
インタビュー取材も、イベントなどの同行取材も言わば一期一会で、短い時間に多くの情報を見聞きし記事にしている。
残念ながら双方に間違いや勘違いが起こることもある。というか、普通起こる。
紙面と違って文字数の制約が少ないWeb記事は、余すことなく要点を伝えることができる。結果として間違いが含まれる確率も上がっていく。
なので事前に記事の確認を行う。行った以上、最初の記事は先方と責任を共有している思っているし、ビジネス倫理上もそうあるはずだ。
記者は取材対象のリリースを代筆している訳では無い。
時には競合との比較など読者のとって利益のある情報をどうしても入れたい場合もある。
そういった情報を削除した記事で、注目を集めたケースというのを殆ど知らない。そうなってしまっては双方時間と労力の無駄というものだろう。
なので、これは間違いなのか、それとも「伝聞情報」として妥当なのかというのは発信者とは異なる基準がある、ということも広報をされる方には是非知って置いて頂きたいポイントだ。
ということで散文にはなってしまったが、結構この話題にはいろんなアジェンダが含まれている。
- 事実とは何か?(真実とは存在するのか)
- 外資やNPOなど責任所在が違うところにあったり、分散している場合の広報対応とはどうあるべきか。
- 攻めの広報か、守りの広報か。
- 情報の軌道修正とはどこで図られるべきか。
取材ソース、取材・執筆者、編集者、校閲者などの関係者が1つ1つ判断して、表現や記述を選択していく。
なので、「間違っているから直せ」というのはやはりあまりにもそのあたりの関係者の努力や労力を無視しているものだと言わざるを得ない。
まして、それが2度、3度と及べばいくら取材対象の商品やサービス・活動が魅力的でも、読者に伝えることに対してモチベーションが下がっていくのは避けようがない。
ウィキリークスの例を出すまでもなく、リアルタイムインターネットの時代は望む・望まないに関わらず一旦出てしまった情報はもう無かったことにはできない。
魚拓なんて面倒なことをしなくても、Google検索だってキャッシュを残してくれる。(申請し認められれば消えるけれど、その間に魚拓はしっかり取られているでしょう)
冒頭に述べたように、一発だしで事前確認や修正に応じない媒体も多い。
むしろ、そんな取り返しの付かない記事の内容を云々するよりも、出た後の対応を的確に行う方がよろしいのではないでしょうか?と老婆心ながら思ったりもする。
「情報」を扱うIT企業や、それを専門とする研究者であれば尚更、そのメカニズムには精通しているはず。(と信じたい)
とはいえ、そんなお堅いことを言わないでも、たぶん、きちんと事情を説明して詫びてくれれば多くの場合は収まるわけではありますが。
ということで、ぜひ広報あるいはそれに従事する人は腹をくくって対応に当たって頂ければと、一物書きからの提言でした。
蛇足:残念な経緯の一例(特定が目的ではないため日付はぼかしてあります)
7月某日:初稿完成。先方広報担当者に確認点を記したメール送付。同日1点確認の上回答する旨一次回答有り。
4日後:追って連絡あるという事項が返信無いため、こちらから確認メール発信。その内容で問題無い旨返信あり。
7日後:記事公開
8日後:広報担当者より更に追加の修正依頼有り。確かに必要な配慮と思えたので編集部に連絡。同日中に修正反映。
9日後深夜:広報担当者より電話で3度目の修正依頼有り(主に2点)。「大至急」と気色ばむ電話だが、修正点に曖昧なところがあったので、メールでとりまとめて頂くよう依頼。
10日後早朝:別の担当の方からメールで窓口を代わる旨通達。引き続き送付された修正依頼メールでの修正箇所は10箇所を越える。こちらからは記事のチェック体制について見直しを依頼。
10日後日中:編集部と協議。編集権の問題からもさすがに難色を示されつつ納得してもらう。
13日後:出張を終えた編集担当による記事の再修正完了。結果確認した新しい担当の方から「今回の修正は適正であった(記事チェック体制の見直しについては言及無し)」旨メッセージが届いており、その真意を確かめるメールを送るが現時点では回答無し。→こういう経緯を経てしまうと、いくら素敵なプロダクト・サービスであっても、次取材しようというモチベーションは正直失われてしまいます。また単純に顧客を含めたビジネス対応としてどうなんだろうという疑問も持ち上がります。
#2011.08.04 2:22 追記
先方より広報体制の見直しについても具体的なご連絡を頂きました。ありがとうございました。
これまで数十に及ぶ取材と記事公開を行っていますが、ここまで難渋したのは初めてではあること申し添えます。