まつもとあつしの日々徒然

はてなダイアリーからようやく移行しました

C94参加します/今年2回目のノベルジャムやります

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ばたばたしており、ブログでのお知らせがコミケ期間中になってしましましたが、C94参加します。場所は【東ナ-36a】です。表紙は前回に引き続きうめ先生にお願いしました。この時期アスファルトの上でこんなことしたら焼け死んでしまいますが、依頼時期はもうちょっと涼しかったのです(笑)。

今回はジャーナリストの数土直志さんとの対談本を頒布します。数土さんは日本のアニメの海外展開に詳しく、元証券マンということもあって数字に強い。運営されている『アニメビジネスジャーナル』は、わたしもいつも読み込んで勉強させてもらっています。

 目次はこんな感じです。数土さんのあまり知られていない少年時代から、現在に至る道のりを伺っていたりもします。ラノベ主人公みたいな家庭環境だったということで、時々必殺技を繰り出す(?)数土さんの原点が確認できる冊子にもなっております。

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部数に限りがありますので、お早めに、ということでよろしくお願いいたします。

あともう1つお知らせですが、わたしが理事をつとめるNPOで2泊3日の小説創作イベント「NovelJam2018秋」を11月に開催することになりました。現在参加者募集中です。

www.noveljam.org

単に「書きたい」という人(著者)が集まるのではなく、「編集者」「デザイナー」とチームになって、最後は電子書籍として販売、そのプロモーションや売上も競うという本気度の高いイベントです。ここから生まれた作品は、オーディオブックとして発売されてたりもします。

audiobook.jp

開催は今年11月23日~25日ですが、これに先立ち出版新時代を迎える中で「デザイナー」の役割を考えるセミナーを開催します。NovelJamについてもお話しする予定ですので、ご関心ある方は下記から申込をお願いします。

books-and-designers.peatix.com

9月にはまたスペシャルな方をお迎えして「編集者」向けのイベントも開催予定です。

C93参加します

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コミックマーケット93に参加します。3日目東ト31bにてこちらの対談本を頒布予定です。

西田さんと4~5時間くらいネットフリックスと日本のアニメ産業について話し合った内容を収録しています。下記のような記事がその補助線になっています。

av.watch.impress.co.jp

 

news.yahoo.co.jp

表紙は、うめ先生に描き起こしていただきました。真ん中にいるのは、あの作品のあの子ですよね。上がってきたときは思わず声が出ました。

ということで大晦日とはなりますが、よろしければ足を運んでいただければ幸いです。

 

 

日野さん・宇野さんのこと(あるいは残念なLINE田端さんの話)※追記有り

Lいまネットを賑わしているこの2つの出来事。それぞれ批判や擁護の声がありますが、共通してちょっと気になる点があります。

  • ジャズトランペッターの日野皓正さんが、公演中に中学生を往復ビンタ。素行に問題があったのでやむを得ないじゃないか、という擁護。
  • 評論家の宇野常寛さんが、日テレの番組を降板。「アパホテル批判が右翼を刺激したことを嫌ったため」というその主張がおかしいという意見。

それは「原則と事情を分けて論評されていない」という点です。

まず公衆の面前で中学生をビンタするのはダメだ、というのが原則です。

事情がなんであれ教育手段として体罰は適切ではありません。

www.asahi.com

ここでやむを得ない事情があったから仕方がないじゃないか、とか、体罰を受けた本人がそれを良しとしている、とかいった主張は、他の体罰もやむを得ない事情・本人からの同意があれば良しとするということになります。戸塚ヨットスクール事件から延々繰り返されてきた議論ですが、「体罰は教育手段として取るべきではない」という原則は、事情に優先することは改めて確認されるべきではないかなと思います。そういう観点からは、高野寛さんの「観衆の前での暴力は、ダメだ。」という意見に共感します。

www.facebook.com

そもそも外野が「そこにどんな事情があったのか」なんて、事実をうかがい知ることは極めて難しく、「特殊な事情があったのだ」とするならば綿密に取材して、エビデンス(証拠)を集めてから主張しないと、ということになります。その際も、「原則として体罰はNGである」ということは確認された上での、極めて慎重な論評が必要となるはずです。

宇野さん降板問題も同じくで、関係者と面識もない私も事情は分かりません。従って言及しなかったんですが……。

 ありゃ、つい先日の5月に拙いツィートで会社から注意を受けたはずのLINEの田端さんが、また……。

www.itmedia.co.jp

宇野さんは、番組中でのアパホテル批判によって、日本テレビ前に街宣車がやってきて、そのことを嫌った番組側によって降板させられたと主張されています。それに対して、「庇うだけの価値がない」からだ、と田端さんは指摘したわけです。それをメディア事業も展開するLINEの偉い人が言っちゃまずいでしょう、とメンションしたところ、真顔で反論が。

 (わざわざこの流れで人種を例に持ち出すあたり、可燃性高いなあ……)

情報バラエティであれ、報道であれ、メディアは言論の取り扱いには慎重でなければなりません。ましてやテレビには放送法で定められた中立・公正さが求められるという原則があります。「そんなの幻想だ」「メディアだって営利企業じゃないか」という意見はもちろんあるでしょう。しかし、原則は原則であり、事情があるからといって、そう簡単に曲げちゃって良しという訳にはいかないのです。

そもそもメディアの歴史は、営利と言論のせめぎ合いの歴史です。ステマ問題然りでメディアを運営するということは、この問題とどう向き合うかを問われ続けるということでもあります。「庇うメリットないし」とメディア運営もしている会社の偉い人が言ってしまうのは、この責任を放棄したとみられても仕方がありません。

繰り返しになりますが、宇野さんと日テレの間でどんな事情があったのかは外野からは窺い知ることはできません。したがって、日テレの対応を批判するものではないのですが、田端さんのこれはさすがに看過できません。「LINEのメディアで気に入らない出演者がいたら、どうぞ街宣車を寄こしてください。厄介がメリットを上回るという判断で降板を決めた番組責任者を僕は非難しません」と宣言しているようなものです。ご本人が自覚的かどうかは分かりませんが。

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Twitterではディスクレーマー(所属企業とは関係ありません、というアレ)を掲げる方が多いのですが、田端さんは「真に受けないで」とはされているものの(その割に真顔で何度もメンションされてきてびっくりしましたが)LINEの役員であることを明記して投稿されているため、これはまた企業としての姿勢を問われる案件かなと思います。(一応LINE広報には見解を問い合わせ中です)

LINEはその創業期から取材を続けていて、イノベーターとしての挑戦は高く評価しているのですが、メディア運営事業者としてこういった発言を容認し続けるのだとしたら残念極まりないのです。

 

(追記 2017/09/03 23:10)

先ほど、田端さんより以下のようなメンションを頂きました。自分ルールで申し訳ないのですが、相手のことを「阿呆・馬鹿」言い始めたら、まともな議論はできないかなということで、恐れ入りますがブロックさせて頂きました。よもや上場企業の役員の方に適用することになるとは……。なお、「投稿の曜日で業務外であることは判断せよ」とのこと(斬新!)。いやちゃんとディスクレーマー入れておいてくださいよ、皆さんやってるじゃないですか……。

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あと宇野さんは、また出演の場が得られた様子ですね。

 良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏コミ参加します

1年に2回くらいのペースでの更新になっていますが、夏コミ参加の告知がようやくできる状況になりました。

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こんな感じの今年前半+αを振り返るコピー本を【3日目 東地区 "U" ブロック 33a】で頒布します。

印刷会社に頼もうかとも思いましたが、結局間に合わず。プリントアウト→ホチキス止め→テープ製本で頑張ってます。

よろしければ、冷やかしに来て頂けますと幸いです。

「この世界の片隅に」と「火垂るの墓」のこと

(※多少ネタバレを含みます)

www.youtube.com

 「この世界の片隅に」、もうご覧になりましたか?

恐れ多くもエンドクレジット(スペシャルサンクス)に名前を入れて頂いています。企画のホント初期の段階に立ち会ったのと、アプリ「舞台めぐり」でのいわゆる聖地巡礼をお手伝いしています。平仮名なので少々目立ちます、すみません……。

style.nikkei.com

しかし、コトリンゴさんの歌とともに文字が流れるころには、そんなことを忘れるくらい、いろんな感情が去来して座席で小さく震えていました。観た人が簡単に感動した、とか言えない凄みとでも言うべきものがこの作品にはあります。こうの史代先生の原作を読み込んでいたのに、物語の筋立ては分かっていたのに、それでもなお、頭をガーンと殴られたような鈍い感覚があります。正直気楽な映画ではない。でも、確実に誰かに見てもらいたくなる作品です。

上映後の劇場内の雰囲気、ちょっと懐かしくもありました。私と同じくらいの世代の方であれば、1988年の「となりのトトロ」と「火垂るの墓」同時上映のときのアレだといえば通じるでしょうか。「トトロ」でほっこりしたあとに、「火垂るの墓」で主人公の絶望を共有する。「忘れものを、届けにきました」が当時の映画のコピーでしたが、戦後をよく知るであろう世代の方々が、嗚咽をもらしていたのをよく覚えています。忘れたかったものを、生々しく目の前に差し出されたとき、人はたじろぎ、恐怖します。「忘れたかったのに、なんてものを思い出させてくれたんだ!」、と。あの時の嗚咽は、恐怖とないまぜになったどうにも収まりがつかない感情が、人間に働きかけたときのそれです。子供ながら、「トトロ」と「火垂るの墓」上映後インターバルの、客席のあまりの落差に驚き、映画というものはここまで人を希望へと誘い、絶望へと追い詰めることができるのかと、感嘆したものです。

そして今、「この世界の片隅に」が私を震えさせたのは、1つの作品、例えるならば1枚の絵で天にも登るような希望と、目を覆いたくなるような絶望を同時に提示しているから。それは一言で言ってしまえば人生そのものなのですが、「火垂るの墓」のそれが死によって終わる物語であるのに対して、「この世界の片隅に」のそれは、脈々と、すずさんたちのその後に続く私たちの今に地続きであるのです。バッドエンドではない、でもそれはある意味で、死んでお終い、よりもずっと重い。作中の描写のリアリティとも相まって、今を生きる私たちに、生々しい手触りを伴って劇場を去っても刻み込まれるーーそんな感覚に今も襲われています。(この「リアリティ」については、徳島マチ★アソビで片渕須直監督と真木太郎プロデューサーとのトークイベント司会をさせて頂いた際に、当日司会のお仕事を忘れるほど十二分に衝撃を受けていたはずでしたが、それでもやっぱり凄かった)

gigazine.net

戦後50年以上が過ぎ「戦争」の感触は遠いものになりました。先日編集協力を行った電子書籍のなかで田原総一朗さんは「戦争はダメだ、という絶対的な価値観は失われ、なぜ戦争がダメなのかを確認しなければならなくなった」という意味のコメントを寄せています。

amzn.asia

火垂るの墓」が前者の価値観のもとに絶望を描ききったのに対して、「この世界の片隅に」は後者を、静かに、けれども恐ろしいまでの説得力を持って訴えかけているようにも思えます。当たり前の日常と、大切なものが失われる不条理と、失われてわかるそのかけがえなさと、それでも生きていく人間の強さ(あるいはどうしようもなさ)を、ここまで描ききった片渕須直監督と関係者の皆様に改めて拍手を贈りたいと思います。

トトロは「火垂るの墓」をより幅広い層に知らしめるきっかけにもなりました。願わくば「この世界の片隅に」が長く、多くの人々に届きますように。僕ももう少し何かできないか考えてみます。

 

まず責めるのは学生ではなく運営ではないだろうか、という話。

本当に痛ましい事故が起ってしまいました。亡くなられたお子さんに心からお悔やみを申し上げます。ご両親のお気持ちを考えると胸が張りさけそうな気持ちになります。

www3.nhk.or.jp

 いまネット上には、この展示物を制作した学生を責める声に溢れています。

「なぜこんな燃えやすい構造にしたのか?」と火災を彼らが予見できなかったことに対する批判がその多くを占めているようです。

しかし、事の本質はそこではないように思えます。もちろん彼らにも大きな責任がありますが、私がこの事故で最も「拙い」と驚いたのは、主催者がこの火災の後もイベントを終了まで何事もなかったかのように続行したことです。

 上記記事には「火災のあと、入場はストップしたが、入場済の人には警察に了解をもらったうえで展示を見てもらった。消火作業は終わっており、現場にはフェンスも張っていた。混乱を招くおそれがあるため、アナウンスはしなかった」とあります。このことに運営者のリスク意識の無さが如実に表れているように思えます。

広く様々な個人・団体から「アート」という名目で作品を集める以上、そこにはさまざまなリスクが生じます。これは、例えばコミックマーケットのような同人誌イベントでも同様で、だからこそ運営側には高いスキルが求められます。

あれだけの作品数を事前にチェックするのは現実的に不可能だった、という指摘もあります。わたしもそれは同感です。たとえ事前に図面などでチェックしたとしても、当日現場でその仕様が変わることは容易に想像が付きます。だからこそ、現地での巡回が重要になるのです。多くの同人誌イベントでは、レギュレーション違反が当日、現地の巡回で発覚すれば、その状態が是正されるまでは販売・頒布の停止処置を受けることになります。

直接のリンクを貼ることは避けますが、今回の事故を受けての、東京デザインウィークの関係者のTweetやFacebook投稿を見ると、どこか他人事であるのが気になります。中には「今回のことから学んで次に活かさねばならない」と、はやくも次回も行われることを前提に総括をされているものすらあります。火災が起きたこと、被害者が出ることが避けられなかったことは、イベント運営者の能力に重大な欠陥があることを示しています。その時点で即刻イベントを中止にするべきではなかったでしょうか? そのこと1つをとっても、東京デザインウィークの再開は厳しいものがあると思います。

学生を責めるのは簡単ですが、自由な表現を楽しめる場にあって、それを普段は楽しんでいる側の「私たち」が、経験の浅い表現者を責め立てるのは筋が違うと考えています。多様な作品を集め、そこに人を集めて、何らかの利益を得る運営者こそが、一義的に大きな責任を負っています。現地での巡回はもちろん、内容に応じたゾーニングを行うといった対策によって避けられるリスクは少なくないのです。東京デザインウィークでは、そこを出展者や運営委託者に任せっきりにしていなかったのか? これからの検証を待つ必要がありますが、まずはそこに注目したいと思います。

(2016/11/08 2:30追記)

これを書いた少し後で公式サイトにお詫び文が公開されましたが、こちらがやはりよろしくありません。

TOKYO DESIGN WEEK 2016|TOKYO DESIGN WEEK 東京デザインウィーク

前略・草々といった挨拶文があるのも首を捻りますが、「事故原因の調査結果を待つことになります」という一文には驚かされました。自らによる調査や、証拠保全などの取り組みは行われないのでしょうか? また学校側が記者会見を開いて直ぐに謝罪したのに対し、原因の調査結果を待つ、というのはどういうことなのでしょうか? (2016/11/08追記:6日夜に記者会見が開かれました。ただ、報道の通りチェックのあり方については言及されていません)清水亮さんが怒りのブログを上げておられます。全く同感です。

d.hatena.ne.jp

 

#記事公開時、学校名に誤りがありました。お詫びして訂正します。

#2016/11/08 タイトルを変更しました。

ウェブコミュニティは「共創」と「競争」で物語を紡ぐ

1年以上ぶりの更新です。ブロガーへの道は険しいというか、無理かも。1個前のエントリーは、VAIOスマホ日本通信版)の蹉跌を取り上げましたが、VAIOさんはその後、Windowsフォンとして尖った端末を出してます。注目しております。

さて、今週末ウェブ小説やマンガに関するセミナーを渋谷で開催します。comicoの中の人をお招きしての無料のものですので、お気軽にご参加ください。comicoの解説本も会場限定特別価格で販売します。

再入門も、これからの人も「Re:ゼロから始めるcomico生活」
http://peatix.com/event/179130

このイベントは、僕も理事を務めるNPO法人日本独立作家同盟の主催によるものです。そこが発行している「群雛」という機関誌に寄稿したコラムの転載OK頂きましたので、僕がどんな風にウェブ小説・マンガを見ているか、という視点を先に提示しておきたいと思います。

ウェブ小説は文芸誌の代替か?
 ウェブ小説は「出版不況」(この言葉も適切なのか議論はあるが)に対する「回答」のように語られることが多い。いわく、文芸誌の休刊が相次ぎ、作品発表の機会が失われた中、ウェブ小説が新たな作品発表の場となっており、既存の枠組みに安住していた出版社はこのムーブメントに乗れなかった、といったものだ。
 一見もっともらしい意見だ。既存の出版業界にいろいろ思うところがある向きには、「よくぞやってくれた」という風に見立てたくなるほど、ウェブ小説は魅力的で強力な輝きを放っている。
 だが、ウェブ小説の歴史を振り返りつつ、調査や取材を続けていると、どうもこういった主張は間違っているように思えてくる。少なくとも建設的ではないとわたしは確信している。では、わたしたちはどのようにウェブ小説をとらえ、作家すなわちクリエイターとして、もしくは編集者のようなビジネスプロデューサーとしてこれと向き合っていけば良いのだろうか? 順を追ってみていこう。

ウェブ小説原作アニメに共通する世界観
 深夜アニメのラインナップを見ていると、ここ数年ウェブ小説──「小説家になろう」などの投稿サイト出自の物語が原作となった作品がほんとうに目に付くようになった。その多くがいわゆる「異世界ファンタジー」や「学園異能力バトル」ものだ。
 ある日突然ファンタジー世界に飛ばされた主人公が、現代の知識や技術を用いながら現地の人々と様々な困難を解決していく。あるいは能力者たちの集う学園に、逆位相の能力を持つ主人公が現れ、偏見のまなざしや彼らからの様々な挑戦を受けながら、試練を克服し仲間を得て自らの立ち位置を確立していく……。
 ただでさえ、1クール(3ヶ月)ごとに大量のアニメが放送される中で、一見ほとんど世界観が同じに思える作品が複数あったりする。「あれ? このヒロインは主人公の妹だったっけ? 恋人だったっけ? 先週はデレてたはずなのに、なんで今週は主人公の命を狙っているの?」と話が追えなくなってしまうのは、おそらく筆者だけではないはずだ。
 そこで描かれる異文化との交流、異なる社会構造との衝突と融和──なにゆえ民族学文化人類学的にど真ん中なアプローチの作品が、これほどまでに支持を拡げたのか? それは、これらの物語がインターネットコミュニティで生まれ、「共創」と「競争」の中から生まれたこととおそらく無関係ではないはずだ。

巨大掲示板から生まれた物語
 ウェブ小説を「ネット空間で発表される物語」と広義に捉えると、それ自体はインターネット登場以前から、電子掲示板などでもその萌芽を見てとれる。「小説家になろう」(以下「なろう」)が開設されたのは2004年。今から10年以上も前にさかのぼる。同じ年、2ちゃんねるに「電車男」が投稿され、その後書籍化・映像化に至ったことも、ウェブ小説の源流の1つと数えることもできるはずだ。
 恋愛とは縁遠いオタク男子が、勇気を振り絞って年上のお嬢さんとのデートに臨む。それを「毒男板」と呼ばれたスレッドのユーザーたちがサポートし、ハッピーエンドへと導いていく。振り返れば「電車男」は、2ちゃんねるでの投稿者とスレ住民たちのポジティブなコメントのやり取りが、感動的な物語を紡ぎ出した希有な例であったかも知れない。

電車男 DVD-BOX

電車男 DVD-BOX

 当時から「これは虚構ではないのか」という指摘もあったが、当事者たちにとってはそれが真実か否かはさほど重要ではなかったはずだ。インターネットコミュニティでの投稿を通じて、自分たちが物語に介入し、えもいわれぬ没入感を味わうという新しいエンターテインメントの原型がそこにはあった。
 一方で、電子掲示板でのコミュニケーションには困難もつきまとう。無粋な煽りや無関係なコメントに対する、コミュニティによる自浄作業にも限界がある。「電車男」以降、2ちゃんねるでこのような「大ヒット」に至る物語は結局生まれていない。
 掲示板で面白い物語を紡ぎ出すには、取り上げる主題の面白さや新鮮さ・リアリティの高さという偶発性に、最後まで一定のクオリティを保って投稿を続けるという投稿者の誠実さ、そしてスレッドの住民の自助努力が組み合わされなければならない。あまりにもコストが高すぎた、ということなのだろう。

著者と読者の「共創」環境
 掲示板での物語の創作と消費に入れ替わるような形で支持を拡げていったのが「なろう」に代表される小説投稿サイトだ。そこでは、物語の流れを妨げるような読者による直接的な介入は行われないが、感想・レビューという形でフィードバックを行うことができる。作者は1エピソードごとにそれらのフィードバックを参照しながら、次のエピソードで読者の期待に応えたり、逆に裏切って驚きを与え、またそれに読者が反応を返していく──という電車男でも見られた一種の共犯関係を構築していくことになる。その仕組みはとてもシンプルだが、従来の小説創作にはなかった「共創」環境が生まれた、と見立てることもできるだろう。
 そこで繰り広げられる「共創」の作業は、文化人類学におけるフィールドワークにも通じるものがある。フィールドワークでは異なる文化圏を訪れた研究者が、現地の自然、人々の生活、ヒエラルキー、経済の在り方などありとあらゆることを記録していく。その記録を研究者同士で評価し合い、彼我との比較も通じてその民族、文化圏に対する理解を深めていく。異世界ファンタジーが異世界という世界観を提示し、そこを訪れた読者とのバーチャルな「対話」を通じて物語を紡いでいく作業は、まさにフィールドワークそのものだ。結果、異世界モノとウェブ小説はとても相性が良い、という状況がこれほどまでに蓄積されたのではないか、と筆者は考えている。

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観 (中公文庫)

物語に影響を与える「競争」環境
 さらにそこでは「競争」も繰り広げられる。言うまでもなくランキングの存在がそれだ。ランキングについては賛否両論あるだろう。異世界モノがこれほどまでに量産される背景には、投稿サイトで人気を獲得できるジャンルがそれだから、という指摘もある。先日はじまったKADOKAWAが運営する小説投稿サイト「カクヨム」では、こうなることを避けるため予め投稿ジャンルをわけ、それぞれにランキングを生成するという工夫を加えている(が、果たして前述のような「共創」との相性の良さがある中でジャンルの多様性が拡がるかは未知数だ)。
 いずれにせよ、読者によるダイレクトかつリアルタイムな選考が行われているのがウェブ小説の世界だ。この「競争」という側面は物語にも影響を与えていると考えるのはいきすぎだろうか? ジャンプでは読者アンケートによるランキングの善し悪しで掲載継続か否かが決まる。投稿サイトではランキング上位に入らないと、なかなか作品を読んでもらうことはできない。そんな緊張感の中で、異能力バトルものが多い、というのはどこか書き手の心象風景と重なる部分があるのではないか。
 結果、たしかに一見似ている作品が増える。しかし、エピソードを重ねると、作者が描きたかった主題と、読者との対話に応じて、物語は多様な姿を見せるようになる。最初はわたしも物語を追うことの難しさに苦労したが、最近ではどのあたりにそれぞれの差異が生じてくるのか、まさに作者の主題が姿を現すその瞬間を心待ちにしながら作品を楽しめるようにはなりつつある。
 さて、このように見ていくと、冒頭で紹介したような「文芸誌の休刊が相次ぎ、発表の機会を失った物語がウェブにその場を得た」──といったような見立てにはどうにも無理があることがわかる。ウェブ小説は、「小説」とは名付けられているものの、実にウェブ的であり、しかも投稿サイトというプラットフォームの機能にその内容も大きく規定されていると考えられるからだ(裏を返せば純粋な創作の自由度という意味ではウェブ小説を選択しない方がその幅は拡がるといえるかも知れない)。

やっぱり「編集者」は必要
 ラノベ最有力レーベル「電撃文庫」で数多くのウェブ小説を再構成のうえ文庫化し、数多くヒット作を生みだしてきた三木一馬氏に行ったインタビューでも、「その才能は文芸というよりもPCゲームなどのデジタルコンテンツをもともと志向している全く別のところから出てきたものではないか」と指摘されている。既存の出版社がウェブ小説を無視・軽視していたというよりも、そもそも「商材」としても似て非なるもので、出版社の「商流」にはそのままでは乗らないものだったのだ。
 同様の事象は今、マンガでも起こっている。1000万ダウンロードを突破し注目を集めるcomicoでは、作品を投稿するクリエイターのことを「マンガ家」ではなく「comico作家」と呼んでいる。掲載作品をそのまま出版することはなく、いったん従来の編集のフローに乗せて再構成し刊行するというのも、ウェブ小説からラノベへのパッケージの転換に通じるものがある。
 「ウェブコンテンツ」のままでは、キャズムを超えマス(一般層)に訴求できない、というのも「電車男」の頃から状況は変わってない。アニメ化されるような人気ウェブ小説も、そのほとんどはまずラノベレーベルによる出版を経ている点には注意が必要だ。「編集者が不要になった」といった、筆者を含めたメディア人がやりがちな短絡的な評価も、この2ステップを踏んでのマスへの訴求というプロセスを冷静に眺めれば誤りであることがわかる。作品が広く世に出る2段階目で編集者のスキルが存分に発揮されていることが見えてくるからだ。

求められるプロデューサー的スキル
 ただ本稿を読んで頂いている作家(クリエイター)の方々にとっては、いずれにせよ最初の段階──作品を投稿し、できるだけ多くの人に読んでもらい、フィードバックを受けながらランキング上位を目指す段階──では、作品を書く以外の作業をこなしていかなければならない。編集者、言い換えるならば昨今指摘されるように彼らも身につけるべきプロデューサー的なスキルの一部も、使いこなさなければならなくなった、というのも事実だ。創作の技術を磨くと同時に、たとえばソーシャルメディアを通じた作品のPRを行い、まずは作品を知ってもらわなければ、階段の一段目を上がることもできないからだ。
 独立作家同盟で定期的にセミナーを開催し、創作に加えてこういったPRのノウハウも共有しているのはとてもユニークで、意味のあることだと考えている。ウェブを通じた作品の発表の機会と、コミュニティによって作品を錬成する機能はこれからますます進化していくことになるだろう。その新しい環境に適応した才能がここ独立作家同盟から生まれることにわたしは期待しているし、微力ながら協力していきたいと思う。つまりはいつか、「このアニメ、群雛に載っていたあの作品が原作だ。スゲー!」とテレビにかじりつく日が来ることをわたしは夢見ているのだ。

インディーズ作家の生きる道 (群雛文庫)

インディーズ作家の生きる道 (群雛文庫)

再入門も、これからの人も「Re:ゼロから始めるcomico生活」
http://peatix.com/event/179130