まつもとあつしの日々徒然

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「経済を回す」とは何か?

「自粛反対」に合理性はない

計画停電の中、都内の夜は暗く、静かです。
今日は銀座近辺を歩いたのですが、飲食店はほぼ開店休業状態。

「経済を回せ」のかけ声のもと、「自粛・不謹慎」に反対すべく外食の回数を増やす方も居るようですが、しかしマクロに見ると外食とその周辺産業で回せる経済には限りがあります。

震災とその後の計画停電による経済損失(現時点で約20兆円と試算されています)に比べると、仮に例年通りに消費が行われたとしても焼け石に水です。
そして何よりも、同じ国のなかで2万人以上が死亡・行方不明になっている中、飲み食いにいつも以上におカネを使うというのは、相当図太い(←皮肉です)神経の持ち主でないと難しいでしょう。

とはいえ「景気のため」の自粛反対というのは心情的には理解できる部分もあるのですが、供給側に立つとやむを得ない事情というのもあります。

例えば昨日話題になったのは東京湾花火大会の中止を巡る議論でした。「震災後だからこそ(景気浮揚・意識高揚のためにも)実施すべし」という意見がTwitter上で多く聞かれましたが、実際のところ中止の理由は今現在、救援活動にあたっている警察・消防・海上保安庁との調整がとても行えるものではない、というものでした。

つまり、震災の影響は確実に被災地以外にも拡がっていて、物理的に自粛せざるを得ない場合もある、というのがこの一件からも分かります。消費者の側ではなく、供給側、たとえばイベント興行主の立場で少し考えれば理解できるかと思います。

需給両方のマインドが冷え切っている中で、それぞれを鞭打つことにどれほどの効果があるのか、正直理解できずにいます。

いまは「買い占め反対」を徹底すべきタイミング

いま「反対キャンペーン」を張るのであれば、「買い占め反対」を徹底すべき局面です。例えば、今日のワールドビジネスサテライトでは、こんな映像が紹介されていました。(画像引用)


乳児を抱える人たちが、ペットボトル入りの水を求めて大変な苦労をするなか、中高年の人たちが自由な時間を使って、悠々と水を買い占めていく様に戦慄を覚えました。先日の帰宅難民の際、「混乱もなく粛々・整然と帰宅した。日本人は素晴らしい」と評する意見もありましたが、これを「静かな略奪」と呼ばずしてなんと呼びましょう。Amazonには、エネループや自家発電機を定価の数倍で販売をはじめた業者もいます。売る側の倫理や正義感も問われる局面です。

いま、仮にネガティブキャンペーンを行うとすれば、喫緊の課題はこういった行為に対する反対の声をあげることではないかと考えます。

では経済は何で回すのか?

こちらの記事(巨大地震の経済的影響をどう考えるか:日経ビジネスオンライン )に詳しく述べられていますが、阪神淡路大震災後の経済を振り返っても、短期的な景気の落ち込みは避けようもない、というのが現実的な見方であろうと思います。

そして、その負けを取り返すのは中長期のスパンで見たときの「復興」に掛かっています。

今回の震災でも道路や建築物などの物理的なインフラが破壊されました。また、以前から諸外国に比べ遅れが指摘されていたITインフラ(※単に通信網ではなく、災害時にも役立つような統合的なITサービス)が十分機能しているとは言えません。震災から10日以上経っても、前回同様「避難所と各自治体で必要な物資のマッチングが行われていない」ことにもそれは現れています。

これらのインフラの復旧と再整備は大きな事業となっていかなければなりません。先ほどの記事でも中長期的にはこの復興事業が景気を上向かせると予測しています。

もっと言えば、前の震災後の神戸周辺がそうであったように、産業構造の組み替えがそこでは行われるはずです。仮に今回の震災で外食産業や娯楽産業が縮小したとしても、一方で別の産業で需要が生まれますし、それがより早く、スムーズに、できればその後の成長も伴う形で進行されなければなりません。

これはどこかで見た光景です。小泉政権下の「構造改革」ととてもよく似ています。
痛みも伴うし、中途半端に終われば痛みだけで終わってしまう。政治においてどのような意思決定が行われようとしているか、いつも以上に注視が必要になっていくでしょう。

しかし、それこそが「経済を回す」ということではないかと考えています。