まつもとあつしの日々徒然

はてなダイアリーからようやく移行しました

大学でコンテンツの教育と研究を行います

この4月より、新潟県敬和学園大学でコンテンツを中心とした教育と研究を行うことになりました。基本的に研究日には東京にいるようにしますが、打ち合わせや取材の調整などでご面倒をお掛けすることもあるかと思います。

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奥に見えるのが大学の建物(どことなく特車2課っぽい)

産学連携カリキュラム、修士課程、博士課程と途中休学も挟みながら約10年間在籍した東京大学大学院を満期退学し、より教育と研究に軸足をおいた活動をしていくことになります。

とはいえ、私の場合、インタビュー取材と研究分野は地続きになっていますので、引き続き「お話し聞かせてください」とご連絡を差し上げることもむしろ増えるかも知れません。アニメを始めとしたコンテンツ産業は引き続き環境変化が続いています。その最前線を引き続き追いかけて行きたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。(コミケやマチ★アソビも引き続き参加……したいと思っております)

(以下宣伝です)教育・研究方面に軸足を置くということで、昨年度は共著で学術書の執筆に参加をしておりました。

コンテンツが拓く地域の可能性  -コンテンツ製作者・地域社会・ファンの三方良しをかなえるアニメ聖地巡礼-

コンテンツが拓く地域の可能性 -コンテンツ製作者・地域社会・ファンの三方良しをかなえるアニメ聖地巡礼-

 

コンテンツツーリズム研究の第一人者である北海道大学山村先生、そして愛媛大学でやはりコンテンツと地域振興の関係を研究されている大谷先生が企画された書籍に、コンテンツビジネスの視点から論考を行っています。

また、ソーシャルメディア方面では、法政大学の藤代先生にお声がけを頂き、アニメとソーシャルメディアの関係を、映画『この世界の片隅に』を事例として書籍の改訂に協力させて頂きました。

ソーシャルメディア論・改訂版 つながりを再設計する

ソーシャルメディア論・改訂版 つながりを再設計する

 

こちらの書籍にはやはり敬和学園大学で教鞭を執られている一戸先生マストドン本でもご一緒した小林啓倫さんも執筆陣に加わっておられます。 

これまで長く商業媒体への執筆を行ってきたため、論文・研究書の作法にはまだまだ不慣れで、先生方にはご迷惑もお掛けした面もあるのですが、研鑽しつつ引き続きコンテンツ・ITの最新動向を研究へとフィードバックする試みを続けて行きたいと考えています。引き続きご指導、ご鞭撻頂けますと幸いです。

 

 

 

 

C95参加します

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C95表紙

コミックマーケット95に参加します。表紙(↑)はまたうめ先生にお願いしました。

サークル配置は3日目J-39aです。

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インタビュー記事

今回は東映アニメーションで『来園追放』『正解するカド』などを手がけてこられた野口光一さんとの対談集となっています。CGがアニメをどう変えるのか、最前線を走って来た(でもとても語り口は穏やかな)野口さんに根掘り葉掘りお話しを伺いました。

大寒波襲来ということで、交通機関の乱れなどが心配ではありますが、ビッグサイトへお越しの際はよろしければお立ち寄りください。

 

 

C94参加します/今年2回目のノベルジャムやります

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ばたばたしており、ブログでのお知らせがコミケ期間中になってしましましたが、C94参加します。場所は【東ナ-36a】です。表紙は前回に引き続きうめ先生にお願いしました。この時期アスファルトの上でこんなことしたら焼け死んでしまいますが、依頼時期はもうちょっと涼しかったのです(笑)。

今回はジャーナリストの数土直志さんとの対談本を頒布します。数土さんは日本のアニメの海外展開に詳しく、元証券マンということもあって数字に強い。運営されている『アニメビジネスジャーナル』は、わたしもいつも読み込んで勉強させてもらっています。

 目次はこんな感じです。数土さんのあまり知られていない少年時代から、現在に至る道のりを伺っていたりもします。ラノベ主人公みたいな家庭環境だったということで、時々必殺技を繰り出す(?)数土さんの原点が確認できる冊子にもなっております。

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部数に限りがありますので、お早めに、ということでよろしくお願いいたします。

あともう1つお知らせですが、わたしが理事をつとめるNPOで2泊3日の小説創作イベント「NovelJam2018秋」を11月に開催することになりました。現在参加者募集中です。

www.noveljam.org

単に「書きたい」という人(著者)が集まるのではなく、「編集者」「デザイナー」とチームになって、最後は電子書籍として販売、そのプロモーションや売上も競うという本気度の高いイベントです。ここから生まれた作品は、オーディオブックとして発売されてたりもします。

audiobook.jp

開催は今年11月23日~25日ですが、これに先立ち出版新時代を迎える中で「デザイナー」の役割を考えるセミナーを開催します。NovelJamについてもお話しする予定ですので、ご関心ある方は下記から申込をお願いします。

books-and-designers.peatix.com

9月にはまたスペシャルな方をお迎えして「編集者」向けのイベントも開催予定です。

C93参加します

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コミックマーケット93に参加します。3日目東ト31bにてこちらの対談本を頒布予定です。

西田さんと4~5時間くらいネットフリックスと日本のアニメ産業について話し合った内容を収録しています。下記のような記事がその補助線になっています。

av.watch.impress.co.jp

 

news.yahoo.co.jp

表紙は、うめ先生に描き起こしていただきました。真ん中にいるのは、あの作品のあの子ですよね。上がってきたときは思わず声が出ました。

ということで大晦日とはなりますが、よろしければ足を運んでいただければ幸いです。

 

 

日野さん・宇野さんのこと(あるいは残念なLINE田端さんの話)※追記有り

Lいまネットを賑わしているこの2つの出来事。それぞれ批判や擁護の声がありますが、共通してちょっと気になる点があります。

  • ジャズトランペッターの日野皓正さんが、公演中に中学生を往復ビンタ。素行に問題があったのでやむを得ないじゃないか、という擁護。
  • 評論家の宇野常寛さんが、日テレの番組を降板。「アパホテル批判が右翼を刺激したことを嫌ったため」というその主張がおかしいという意見。

それは「原則と事情を分けて論評されていない」という点です。

まず公衆の面前で中学生をビンタするのはダメだ、というのが原則です。

事情がなんであれ教育手段として体罰は適切ではありません。

www.asahi.com

ここでやむを得ない事情があったから仕方がないじゃないか、とか、体罰を受けた本人がそれを良しとしている、とかいった主張は、他の体罰もやむを得ない事情・本人からの同意があれば良しとするということになります。戸塚ヨットスクール事件から延々繰り返されてきた議論ですが、「体罰は教育手段として取るべきではない」という原則は、事情に優先することは改めて確認されるべきではないかなと思います。そういう観点からは、高野寛さんの「観衆の前での暴力は、ダメだ。」という意見に共感します。

www.facebook.com

そもそも外野が「そこにどんな事情があったのか」なんて、事実をうかがい知ることは極めて難しく、「特殊な事情があったのだ」とするならば綿密に取材して、エビデンス(証拠)を集めてから主張しないと、ということになります。その際も、「原則として体罰はNGである」ということは確認された上での、極めて慎重な論評が必要となるはずです。

宇野さん降板問題も同じくで、関係者と面識もない私も事情は分かりません。従って言及しなかったんですが……。

 ありゃ、つい先日の5月に拙いツィートで会社から注意を受けたはずのLINEの田端さんが、また……。

www.itmedia.co.jp

宇野さんは、番組中でのアパホテル批判によって、日本テレビ前に街宣車がやってきて、そのことを嫌った番組側によって降板させられたと主張されています。それに対して、「庇うだけの価値がない」からだ、と田端さんは指摘したわけです。それをメディア事業も展開するLINEの偉い人が言っちゃまずいでしょう、とメンションしたところ、真顔で反論が。

 (わざわざこの流れで人種を例に持ち出すあたり、可燃性高いなあ……)

情報バラエティであれ、報道であれ、メディアは言論の取り扱いには慎重でなければなりません。ましてやテレビには放送法で定められた中立・公正さが求められるという原則があります。「そんなの幻想だ」「メディアだって営利企業じゃないか」という意見はもちろんあるでしょう。しかし、原則は原則であり、事情があるからといって、そう簡単に曲げちゃって良しという訳にはいかないのです。

そもそもメディアの歴史は、営利と言論のせめぎ合いの歴史です。ステマ問題然りでメディアを運営するということは、この問題とどう向き合うかを問われ続けるということでもあります。「庇うメリットないし」とメディア運営もしている会社の偉い人が言ってしまうのは、この責任を放棄したとみられても仕方がありません。

繰り返しになりますが、宇野さんと日テレの間でどんな事情があったのかは外野からは窺い知ることはできません。したがって、日テレの対応を批判するものではないのですが、田端さんのこれはさすがに看過できません。「LINEのメディアで気に入らない出演者がいたら、どうぞ街宣車を寄こしてください。厄介がメリットを上回るという判断で降板を決めた番組責任者を僕は非難しません」と宣言しているようなものです。ご本人が自覚的かどうかは分かりませんが。

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Twitterではディスクレーマー(所属企業とは関係ありません、というアレ)を掲げる方が多いのですが、田端さんは「真に受けないで」とはされているものの(その割に真顔で何度もメンションされてきてびっくりしましたが)LINEの役員であることを明記して投稿されているため、これはまた企業としての姿勢を問われる案件かなと思います。(一応LINE広報には見解を問い合わせ中です)

LINEはその創業期から取材を続けていて、イノベーターとしての挑戦は高く評価しているのですが、メディア運営事業者としてこういった発言を容認し続けるのだとしたら残念極まりないのです。

 

(追記 2017/09/03 23:10)

先ほど、田端さんより以下のようなメンションを頂きました。自分ルールで申し訳ないのですが、相手のことを「阿呆・馬鹿」言い始めたら、まともな議論はできないかなということで、恐れ入りますがブロックさせて頂きました。よもや上場企業の役員の方に適用することになるとは……。なお、「投稿の曜日で業務外であることは判断せよ」とのこと(斬新!)。いやちゃんとディスクレーマー入れておいてくださいよ、皆さんやってるじゃないですか……。

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あと宇野さんは、また出演の場が得られた様子ですね。

 良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏コミ参加します

1年に2回くらいのペースでの更新になっていますが、夏コミ参加の告知がようやくできる状況になりました。

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こんな感じの今年前半+αを振り返るコピー本を【3日目 東地区 "U" ブロック 33a】で頒布します。

印刷会社に頼もうかとも思いましたが、結局間に合わず。プリントアウト→ホチキス止め→テープ製本で頑張ってます。

よろしければ、冷やかしに来て頂けますと幸いです。

「この世界の片隅に」と「火垂るの墓」のこと

(※多少ネタバレを含みます)

www.youtube.com

 「この世界の片隅に」、もうご覧になりましたか?

恐れ多くもエンドクレジット(スペシャルサンクス)に名前を入れて頂いています。企画のホント初期の段階に立ち会ったのと、アプリ「舞台めぐり」でのいわゆる聖地巡礼をお手伝いしています。平仮名なので少々目立ちます、すみません……。

style.nikkei.com

しかし、コトリンゴさんの歌とともに文字が流れるころには、そんなことを忘れるくらい、いろんな感情が去来して座席で小さく震えていました。観た人が簡単に感動した、とか言えない凄みとでも言うべきものがこの作品にはあります。こうの史代先生の原作を読み込んでいたのに、物語の筋立ては分かっていたのに、それでもなお、頭をガーンと殴られたような鈍い感覚があります。正直気楽な映画ではない。でも、確実に誰かに見てもらいたくなる作品です。

上映後の劇場内の雰囲気、ちょっと懐かしくもありました。私と同じくらいの世代の方であれば、1988年の「となりのトトロ」と「火垂るの墓」同時上映のときのアレだといえば通じるでしょうか。「トトロ」でほっこりしたあとに、「火垂るの墓」で主人公の絶望を共有する。「忘れものを、届けにきました」が当時の映画のコピーでしたが、戦後をよく知るであろう世代の方々が、嗚咽をもらしていたのをよく覚えています。忘れたかったものを、生々しく目の前に差し出されたとき、人はたじろぎ、恐怖します。「忘れたかったのに、なんてものを思い出させてくれたんだ!」、と。あの時の嗚咽は、恐怖とないまぜになったどうにも収まりがつかない感情が、人間に働きかけたときのそれです。子供ながら、「トトロ」と「火垂るの墓」上映後インターバルの、客席のあまりの落差に驚き、映画というものはここまで人を希望へと誘い、絶望へと追い詰めることができるのかと、感嘆したものです。

そして今、「この世界の片隅に」が私を震えさせたのは、1つの作品、例えるならば1枚の絵で天にも登るような希望と、目を覆いたくなるような絶望を同時に提示しているから。それは一言で言ってしまえば人生そのものなのですが、「火垂るの墓」のそれが死によって終わる物語であるのに対して、「この世界の片隅に」のそれは、脈々と、すずさんたちのその後に続く私たちの今に地続きであるのです。バッドエンドではない、でもそれはある意味で、死んでお終い、よりもずっと重い。作中の描写のリアリティとも相まって、今を生きる私たちに、生々しい手触りを伴って劇場を去っても刻み込まれるーーそんな感覚に今も襲われています。(この「リアリティ」については、徳島マチ★アソビで片渕須直監督と真木太郎プロデューサーとのトークイベント司会をさせて頂いた際に、当日司会のお仕事を忘れるほど十二分に衝撃を受けていたはずでしたが、それでもやっぱり凄かった)

gigazine.net

戦後50年以上が過ぎ「戦争」の感触は遠いものになりました。先日編集協力を行った電子書籍のなかで田原総一朗さんは「戦争はダメだ、という絶対的な価値観は失われ、なぜ戦争がダメなのかを確認しなければならなくなった」という意味のコメントを寄せています。

amzn.asia

火垂るの墓」が前者の価値観のもとに絶望を描ききったのに対して、「この世界の片隅に」は後者を、静かに、けれども恐ろしいまでの説得力を持って訴えかけているようにも思えます。当たり前の日常と、大切なものが失われる不条理と、失われてわかるそのかけがえなさと、それでも生きていく人間の強さ(あるいはどうしようもなさ)を、ここまで描ききった片渕須直監督と関係者の皆様に改めて拍手を贈りたいと思います。

トトロは「火垂るの墓」をより幅広い層に知らしめるきっかけにもなりました。願わくば「この世界の片隅に」が長く、多くの人々に届きますように。僕ももう少し何かできないか考えてみます。