まつもとあつしの日々徒然

はてなダイアリーからようやく移行しました

C95参加します

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C95表紙

コミックマーケット95に参加します。表紙(↑)はまたうめ先生にお願いしました。

サークル配置は3日目J-39aです。

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インタビュー記事

今回は東映アニメーションで『来園追放』『正解するカド』などを手がけてこられた野口光一さんとの対談集となっています。CGがアニメをどう変えるのか、最前線を走って来た(でもとても語り口は穏やかな)野口さんに根掘り葉掘りお話しを伺いました。

大寒波襲来ということで、交通機関の乱れなどが心配ではありますが、ビッグサイトへお越しの際はよろしければお立ち寄りください。

 

 

C94参加します/今年2回目のノベルジャムやります

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ばたばたしており、ブログでのお知らせがコミケ期間中になってしましましたが、C94参加します。場所は【東ナ-36a】です。表紙は前回に引き続きうめ先生にお願いしました。この時期アスファルトの上でこんなことしたら焼け死んでしまいますが、依頼時期はもうちょっと涼しかったのです(笑)。

今回はジャーナリストの数土直志さんとの対談本を頒布します。数土さんは日本のアニメの海外展開に詳しく、元証券マンということもあって数字に強い。運営されている『アニメビジネスジャーナル』は、わたしもいつも読み込んで勉強させてもらっています。

 目次はこんな感じです。数土さんのあまり知られていない少年時代から、現在に至る道のりを伺っていたりもします。ラノベ主人公みたいな家庭環境だったということで、時々必殺技を繰り出す(?)数土さんの原点が確認できる冊子にもなっております。

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部数に限りがありますので、お早めに、ということでよろしくお願いいたします。

あともう1つお知らせですが、わたしが理事をつとめるNPOで2泊3日の小説創作イベント「NovelJam2018秋」を11月に開催することになりました。現在参加者募集中です。

www.noveljam.org

単に「書きたい」という人(著者)が集まるのではなく、「編集者」「デザイナー」とチームになって、最後は電子書籍として販売、そのプロモーションや売上も競うという本気度の高いイベントです。ここから生まれた作品は、オーディオブックとして発売されてたりもします。

audiobook.jp

開催は今年11月23日~25日ですが、これに先立ち出版新時代を迎える中で「デザイナー」の役割を考えるセミナーを開催します。NovelJamについてもお話しする予定ですので、ご関心ある方は下記から申込をお願いします。

books-and-designers.peatix.com

9月にはまたスペシャルな方をお迎えして「編集者」向けのイベントも開催予定です。

C93参加します

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コミックマーケット93に参加します。3日目東ト31bにてこちらの対談本を頒布予定です。

西田さんと4~5時間くらいネットフリックスと日本のアニメ産業について話し合った内容を収録しています。下記のような記事がその補助線になっています。

av.watch.impress.co.jp

 

news.yahoo.co.jp

表紙は、うめ先生に描き起こしていただきました。真ん中にいるのは、あの作品のあの子ですよね。上がってきたときは思わず声が出ました。

ということで大晦日とはなりますが、よろしければ足を運んでいただければ幸いです。

 

 

日野さん・宇野さんのこと(あるいは残念なLINE田端さんの話)※追記有り

Lいまネットを賑わしているこの2つの出来事。それぞれ批判や擁護の声がありますが、共通してちょっと気になる点があります。

  • ジャズトランペッターの日野皓正さんが、公演中に中学生を往復ビンタ。素行に問題があったのでやむを得ないじゃないか、という擁護。
  • 評論家の宇野常寛さんが、日テレの番組を降板。「アパホテル批判が右翼を刺激したことを嫌ったため」というその主張がおかしいという意見。

それは「原則と事情を分けて論評されていない」という点です。

まず公衆の面前で中学生をビンタするのはダメだ、というのが原則です。

事情がなんであれ教育手段として体罰は適切ではありません。

www.asahi.com

ここでやむを得ない事情があったから仕方がないじゃないか、とか、体罰を受けた本人がそれを良しとしている、とかいった主張は、他の体罰もやむを得ない事情・本人からの同意があれば良しとするということになります。戸塚ヨットスクール事件から延々繰り返されてきた議論ですが、「体罰は教育手段として取るべきではない」という原則は、事情に優先することは改めて確認されるべきではないかなと思います。そういう観点からは、高野寛さんの「観衆の前での暴力は、ダメだ。」という意見に共感します。

www.facebook.com

そもそも外野が「そこにどんな事情があったのか」なんて、事実をうかがい知ることは極めて難しく、「特殊な事情があったのだ」とするならば綿密に取材して、エビデンス(証拠)を集めてから主張しないと、ということになります。その際も、「原則として体罰はNGである」ということは確認された上での、極めて慎重な論評が必要となるはずです。

宇野さん降板問題も同じくで、関係者と面識もない私も事情は分かりません。従って言及しなかったんですが……。

 ありゃ、つい先日の5月に拙いツィートで会社から注意を受けたはずのLINEの田端さんが、また……。

www.itmedia.co.jp

宇野さんは、番組中でのアパホテル批判によって、日本テレビ前に街宣車がやってきて、そのことを嫌った番組側によって降板させられたと主張されています。それに対して、「庇うだけの価値がない」からだ、と田端さんは指摘したわけです。それをメディア事業も展開するLINEの偉い人が言っちゃまずいでしょう、とメンションしたところ、真顔で反論が。

 (わざわざこの流れで人種を例に持ち出すあたり、可燃性高いなあ……)

情報バラエティであれ、報道であれ、メディアは言論の取り扱いには慎重でなければなりません。ましてやテレビには放送法で定められた中立・公正さが求められるという原則があります。「そんなの幻想だ」「メディアだって営利企業じゃないか」という意見はもちろんあるでしょう。しかし、原則は原則であり、事情があるからといって、そう簡単に曲げちゃって良しという訳にはいかないのです。

そもそもメディアの歴史は、営利と言論のせめぎ合いの歴史です。ステマ問題然りでメディアを運営するということは、この問題とどう向き合うかを問われ続けるということでもあります。「庇うメリットないし」とメディア運営もしている会社の偉い人が言ってしまうのは、この責任を放棄したとみられても仕方がありません。

繰り返しになりますが、宇野さんと日テレの間でどんな事情があったのかは外野からは窺い知ることはできません。したがって、日テレの対応を批判するものではないのですが、田端さんのこれはさすがに看過できません。「LINEのメディアで気に入らない出演者がいたら、どうぞ街宣車を寄こしてください。厄介がメリットを上回るという判断で降板を決めた番組責任者を僕は非難しません」と宣言しているようなものです。ご本人が自覚的かどうかは分かりませんが。

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Twitterではディスクレーマー(所属企業とは関係ありません、というアレ)を掲げる方が多いのですが、田端さんは「真に受けないで」とはされているものの(その割に真顔で何度もメンションされてきてびっくりしましたが)LINEの役員であることを明記して投稿されているため、これはまた企業としての姿勢を問われる案件かなと思います。(一応LINE広報には見解を問い合わせ中です)

LINEはその創業期から取材を続けていて、イノベーターとしての挑戦は高く評価しているのですが、メディア運営事業者としてこういった発言を容認し続けるのだとしたら残念極まりないのです。

 

(追記 2017/09/03 23:10)

先ほど、田端さんより以下のようなメンションを頂きました。自分ルールで申し訳ないのですが、相手のことを「阿呆・馬鹿」言い始めたら、まともな議論はできないかなということで、恐れ入りますがブロックさせて頂きました。よもや上場企業の役員の方に適用することになるとは……。なお、「投稿の曜日で業務外であることは判断せよ」とのこと(斬新!)。いやちゃんとディスクレーマー入れておいてくださいよ、皆さんやってるじゃないですか……。

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あと宇野さんは、また出演の場が得られた様子ですね。

 良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏コミ参加します

1年に2回くらいのペースでの更新になっていますが、夏コミ参加の告知がようやくできる状況になりました。

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こんな感じの今年前半+αを振り返るコピー本を【3日目 東地区 "U" ブロック 33a】で頒布します。

印刷会社に頼もうかとも思いましたが、結局間に合わず。プリントアウト→ホチキス止め→テープ製本で頑張ってます。

よろしければ、冷やかしに来て頂けますと幸いです。

「この世界の片隅に」と「火垂るの墓」のこと

(※多少ネタバレを含みます)

www.youtube.com

 「この世界の片隅に」、もうご覧になりましたか?

恐れ多くもエンドクレジット(スペシャルサンクス)に名前を入れて頂いています。企画のホント初期の段階に立ち会ったのと、アプリ「舞台めぐり」でのいわゆる聖地巡礼をお手伝いしています。平仮名なので少々目立ちます、すみません……。

style.nikkei.com

しかし、コトリンゴさんの歌とともに文字が流れるころには、そんなことを忘れるくらい、いろんな感情が去来して座席で小さく震えていました。観た人が簡単に感動した、とか言えない凄みとでも言うべきものがこの作品にはあります。こうの史代先生の原作を読み込んでいたのに、物語の筋立ては分かっていたのに、それでもなお、頭をガーンと殴られたような鈍い感覚があります。正直気楽な映画ではない。でも、確実に誰かに見てもらいたくなる作品です。

上映後の劇場内の雰囲気、ちょっと懐かしくもありました。私と同じくらいの世代の方であれば、1988年の「となりのトトロ」と「火垂るの墓」同時上映のときのアレだといえば通じるでしょうか。「トトロ」でほっこりしたあとに、「火垂るの墓」で主人公の絶望を共有する。「忘れものを、届けにきました」が当時の映画のコピーでしたが、戦後をよく知るであろう世代の方々が、嗚咽をもらしていたのをよく覚えています。忘れたかったものを、生々しく目の前に差し出されたとき、人はたじろぎ、恐怖します。「忘れたかったのに、なんてものを思い出させてくれたんだ!」、と。あの時の嗚咽は、恐怖とないまぜになったどうにも収まりがつかない感情が、人間に働きかけたときのそれです。子供ながら、「トトロ」と「火垂るの墓」上映後インターバルの、客席のあまりの落差に驚き、映画というものはここまで人を希望へと誘い、絶望へと追い詰めることができるのかと、感嘆したものです。

そして今、「この世界の片隅に」が私を震えさせたのは、1つの作品、例えるならば1枚の絵で天にも登るような希望と、目を覆いたくなるような絶望を同時に提示しているから。それは一言で言ってしまえば人生そのものなのですが、「火垂るの墓」のそれが死によって終わる物語であるのに対して、「この世界の片隅に」のそれは、脈々と、すずさんたちのその後に続く私たちの今に地続きであるのです。バッドエンドではない、でもそれはある意味で、死んでお終い、よりもずっと重い。作中の描写のリアリティとも相まって、今を生きる私たちに、生々しい手触りを伴って劇場を去っても刻み込まれるーーそんな感覚に今も襲われています。(この「リアリティ」については、徳島マチ★アソビで片渕須直監督と真木太郎プロデューサーとのトークイベント司会をさせて頂いた際に、当日司会のお仕事を忘れるほど十二分に衝撃を受けていたはずでしたが、それでもやっぱり凄かった)

gigazine.net

戦後50年以上が過ぎ「戦争」の感触は遠いものになりました。先日編集協力を行った電子書籍のなかで田原総一朗さんは「戦争はダメだ、という絶対的な価値観は失われ、なぜ戦争がダメなのかを確認しなければならなくなった」という意味のコメントを寄せています。

amzn.asia

火垂るの墓」が前者の価値観のもとに絶望を描ききったのに対して、「この世界の片隅に」は後者を、静かに、けれども恐ろしいまでの説得力を持って訴えかけているようにも思えます。当たり前の日常と、大切なものが失われる不条理と、失われてわかるそのかけがえなさと、それでも生きていく人間の強さ(あるいはどうしようもなさ)を、ここまで描ききった片渕須直監督と関係者の皆様に改めて拍手を贈りたいと思います。

トトロは「火垂るの墓」をより幅広い層に知らしめるきっかけにもなりました。願わくば「この世界の片隅に」が長く、多くの人々に届きますように。僕ももう少し何かできないか考えてみます。

 

まず責めるのは学生ではなく運営ではないだろうか、という話。

本当に痛ましい事故が起ってしまいました。亡くなられたお子さんに心からお悔やみを申し上げます。ご両親のお気持ちを考えると胸が張りさけそうな気持ちになります。

www3.nhk.or.jp

 いまネット上には、この展示物を制作した学生を責める声に溢れています。

「なぜこんな燃えやすい構造にしたのか?」と火災を彼らが予見できなかったことに対する批判がその多くを占めているようです。

しかし、事の本質はそこではないように思えます。もちろん彼らにも大きな責任がありますが、私がこの事故で最も「拙い」と驚いたのは、主催者がこの火災の後もイベントを終了まで何事もなかったかのように続行したことです。

 上記記事には「火災のあと、入場はストップしたが、入場済の人には警察に了解をもらったうえで展示を見てもらった。消火作業は終わっており、現場にはフェンスも張っていた。混乱を招くおそれがあるため、アナウンスはしなかった」とあります。このことに運営者のリスク意識の無さが如実に表れているように思えます。

広く様々な個人・団体から「アート」という名目で作品を集める以上、そこにはさまざまなリスクが生じます。これは、例えばコミックマーケットのような同人誌イベントでも同様で、だからこそ運営側には高いスキルが求められます。

あれだけの作品数を事前にチェックするのは現実的に不可能だった、という指摘もあります。わたしもそれは同感です。たとえ事前に図面などでチェックしたとしても、当日現場でその仕様が変わることは容易に想像が付きます。だからこそ、現地での巡回が重要になるのです。多くの同人誌イベントでは、レギュレーション違反が当日、現地の巡回で発覚すれば、その状態が是正されるまでは販売・頒布の停止処置を受けることになります。

直接のリンクを貼ることは避けますが、今回の事故を受けての、東京デザインウィークの関係者のTweetやFacebook投稿を見ると、どこか他人事であるのが気になります。中には「今回のことから学んで次に活かさねばならない」と、はやくも次回も行われることを前提に総括をされているものすらあります。火災が起きたこと、被害者が出ることが避けられなかったことは、イベント運営者の能力に重大な欠陥があることを示しています。その時点で即刻イベントを中止にするべきではなかったでしょうか? そのこと1つをとっても、東京デザインウィークの再開は厳しいものがあると思います。

学生を責めるのは簡単ですが、自由な表現を楽しめる場にあって、それを普段は楽しんでいる側の「私たち」が、経験の浅い表現者を責め立てるのは筋が違うと考えています。多様な作品を集め、そこに人を集めて、何らかの利益を得る運営者こそが、一義的に大きな責任を負っています。現地での巡回はもちろん、内容に応じたゾーニングを行うといった対策によって避けられるリスクは少なくないのです。東京デザインウィークでは、そこを出展者や運営委託者に任せっきりにしていなかったのか? これからの検証を待つ必要がありますが、まずはそこに注目したいと思います。

(2016/11/08 2:30追記)

これを書いた少し後で公式サイトにお詫び文が公開されましたが、こちらがやはりよろしくありません。

TOKYO DESIGN WEEK 2016|TOKYO DESIGN WEEK 東京デザインウィーク

前略・草々といった挨拶文があるのも首を捻りますが、「事故原因の調査結果を待つことになります」という一文には驚かされました。自らによる調査や、証拠保全などの取り組みは行われないのでしょうか? また学校側が記者会見を開いて直ぐに謝罪したのに対し、原因の調査結果を待つ、というのはどういうことなのでしょうか? (2016/11/08追記:6日夜に記者会見が開かれました。ただ、報道の通りチェックのあり方については言及されていません)清水亮さんが怒りのブログを上げておられます。全く同感です。

d.hatena.ne.jp

 

#記事公開時、学校名に誤りがありました。お詫びして訂正します。

#2016/11/08 タイトルを変更しました。