まつもとあつしの日々徒然

はてなダイアリーからようやく移行しました

ボランティアに(ようやく)行ってきました

3月11日の震災から早くも2ヶ月が経ちました。
ちょうどの執筆と重なり遅くなってしまったのですが、ようやくこの連休に被災地(宮城県東松島市大曲)でボランティア活動をしてきました。

http://goo.gl/maps/eZ5E

拠点となる大曲市民センターは津波で流されることはありませんでしたが、周囲はまだおそらく沖から流されてきたブイや、漁船が横倒しになっていて、震災直後とほとんど変わっていない様子。

執筆が一段落した隙間を縫って向かったため、あまり前知識なく現地入り。「もしかして、もうあまり作業残っていないかも」とやや不安だったのですが、そんなことは全く無く(実は場所によっては注意も必要なので、それは後ほど)、まだまだ沢山ありました。

津波による倒壊を免れた家の床下には、汚泥がたまっているのです。
厚さは10センチ以上。津波で流されてきた燃料油を含んでいて、ずっしりと重く、臭いもあるやっかいな代物です。
土嚢一つに土を一杯に入れると、持ち上げるだけでも一苦労です。

(原油流出事故で、海鳥が原油にまみれて動けなくなっている写真を見た方も多いと思います。あれが土にまみれているというイメージですね)

いま、津波の被害を受けた家では、みな床板を外して、この泥を撤去する作業に追われています。
臭いが酷い上に、これから夏になるとこの汚泥が乾いてバラバラになってしまい、いっそう取り除くのが難しくなるのです。

ということで、8人が1チームとなりひたすらショベルで泥を搔き出し、土嚢に詰めて瓦礫の集積場所に移動させます。
また、津波で畑に流されてきた家具を撤去したりもしました。

朝8時に集合、現地の作業は16時に終了。午前・午後で2軒の作業を終えてきました。

気仙沼のボランティアセンターでも、連休明けのボランティアを大募集していますが、テレビで流れるような激しい被害を受けた場所だけでなく、外見は無傷な住宅が手助けを必要としていることを痛感します。

こういった場所には自治体がボランティアを運ぶためのバスを手配しはじめています。
私が参加したのもそういったバスでの移動手段が用意されたものでした。仙台駅から海岸付近の被災地に個人に移動するのは時間や手間も掛かりますから、大変有り難いことだと思います。

今回はこちらのページをチェックしてこのボランティアを見つけることが出来ました。

宮城県災害ボランティアセンター http://msv3151.c-bosai.jp/

一つ失敗したのは、装備が完璧ではなかったことです。

同じページで服装と持ち物についても案内があったのですが、見落としていわゆる「軽登山」の装備で現地入りしてしまい、かなり服を汚してしまいました。泥がまだこれほど水分を残しているというのは想定外でした・・・。登山靴のお陰でガラスの破片の上でも平気ではありましたが。

かように結構な作業ですし、多くの活動拠点では食事・水も自分で用意しなくてはなりません。また電気や水道が止まっているところでは、トイレにもそれなりの覚悟が伴います。

しかし、辛いことばかりではありません。

作業を終え、市内に戻った後、仙台名物「牛タン」を食べて帰ることができました。
一汗かいたあと、また格別な味わいです。

仙台市内は、すっかり賑わいを取り戻しており(それでも観光客はかなり減っているとはタクシーの運転手さん談)、ボランティアのあとの観光にはほとんど支障ありません。仙台の牛タン、初めてだったのですが都内で食べるのとは全然違っていてびっくりしました。

被災地のお手伝いをし、その後現地で楽しむ(経済活動に貢献する)というのも有りだと思います。

ボランティアの中には仙台市内から来たという方もいました。被害を受けた人も汗を流しているのですから、私たちも機会を見つけて、動ける人はまずは理屈抜きで現地で活動に参加する――それが、CMで言っているような「ひとつになる」ということではないでしょうか。

「できること」はまだまだあります。