まつもとあつしの日々徒然

はてなダイアリーからようやく移行しました

「スマートデバイスが生む商機」セミナーを行いました

前回の記事でその概要をご紹介した新著に関連したセミナーを行いました。

『スマートデバイスが生む商機』出版記念セミナー 〜iPad 2、Android Honeycomb で変わるタブレットコンピューティングとクリエイティブビジネスの世界

書籍の執筆のため取材も行ったバンダイナムコゲームス山田大輔さん、WWDC、E3の現地取材から戻ったばかりのフリージャーナリストの西田宗千佳さんをお招きして、スマートデバイスがゲームをどう変えるのか?というテーマを起点に、ゲームビジネスの未来について考える1時間半となりました。

Twitterでは呟いたことがあるのですが、昨年末にNHKで放送された「世界ゲーム革命」という番組で、モバイルやソーシャルゲームが全く取り上げられなかったことが、ずっと気になっていました。たしかに、任天堂SCEはハードウェアの進歩を牽引していますが、肝心のソフト(コンテンツ)において、日本のプレイヤーの存在感が薄くなっています。

一方で、DeNAがNGMOCOを買収したり、レベルファイブと提携したりと明らかに「ゲーム」業界・市場の様子が一変しつつあります。

そんな問題意識がある中で、Engadgetのこの記事を読んで、これはもっと掘り下げないと、と考えたわけです。

興味深いのはこの記事で紹介されているAppleTVとiPadを組み合わせてゲームをするイメージ図と、WiiUの利用イメージがきわめて似たコンセプトになっていることです。

ソフトウェアにおいては、据え置き型・PC・スマートデバイス間のコンテンツの垣根がきわめて曖昧になり、且つハードウェアにおいてもかつてはその性能差から自然に生まれていた「棲み分け」が過去のものになりつつあるということが改めて明らかになっています。

且つ日本において海外と事情が異なるのは、2000年代前半のiモードとそのエコシステムにおける成功体験があるという点です。この成功体験をポジティブに活用できるのか、それともネガティブに作用してしまうのか、いまその分岐点にゲーム業界も立っていると言えます。(この辺りの歴史的経緯と、現状のアップストアの「産業化できない」という問題点については、夏野剛さんが「iPhone vs. Android」で詳しく語っています」)

ゲストにお招きしたバンダイナムコゲームス山田大輔さんには、バンダイネットワークスバンダイナムコグループにおいて、携帯電話向けコンテンツを担当していた会社。2009年4月にバンダイナムコゲームスが吸収)での経験から、現在の「スマホ」ブームをどう捉えているかを端的に語っていただくことができました。

このスライドにも書かれているように、AppStoreをはじめとするアプリマーケットは、「デパ地下の『巨大な』食料品売り場→試食だけでお腹いっぱい」という指摘は腑に落ちるものがあります。山田さんは、バンダイネットワークスの前は、フランスの携帯電話メーカーに勤めていた経歴の持ち主で、海外から見て当時は先端を走っていた日本の携帯コンテンツ市場と、現在のスマホブームを極めて冷静に捉えている様子が伺えました。

本著の取材後、独自マーケット「バナドロイド」を発表したのも、プラットフォーム オン プラットフォームへの布石と捉えるべきでしょう。

書籍の中では「なかなか儲からないよね、と中途半端な姿勢を続けていたら、2012年に我々は「緩やかな死」を迎えるでしょう」と刺激的なメッセージでインタビューを締めくった氏ならではの、とても濃いコメントも連発で会場をわかせていました。

続いて、ASCII.JPで「Beyond the Mobile」を連載し、「iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏」(エンターブレイン)など著書も多数持つ西田宗千佳さん。

iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏 (ビジネスファミ通)

iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏 (ビジネスファミ通)

西田さんからは「タブレットスマートフォンのビジネス構造」と銘打って、E3・WWDCの様子も交えながら解説を頂いています。

長年モバイルシーンを追ってきた西田さんは、従来型の携帯電話とスマホの相違点は「UIと通信構造(特にパケットの上限規制の撤廃)」であると定義した上で、コンテンツとそのビジネスモデルが大きく異なっている点を指摘しています。山田さんの指摘していたARPUでのリクープを狙うモデルが、コンテンツの表現力とネットとの親和性の高さを活かしながら図られていくことを改めて確認できました。

また、「ゲーム開発者が常に統計(マーケティングデータ)を参照しながら、ゲームのバージョンアップを行っている」というのも、ゲームの本質である面白さのとらえ方が変化しているという観点から大変興味深いと感じました。ファームビルでは「草むしりの回数が増えている=この作業への関心は高い」と判断して、ゲームアイテムを投入するといった例も。

最後に、デジタルハリウッド大学院で学ぶ学生(掛端俊希さん)も交え、スマートデバイスでどうゲームビジネスは変わるのか?そこをこれから目指す学生は、何を学び・身につければ良いのか、といたテーマでディスカッションを行いました。

「オリジナルの作品作りを目指したい」という掛端さんに対して、山田さんからは「ゲームビジネスもハリウッド型に転換してきている」という指摘があったのも注目しておくべきポイントです。スマホ向けの小品からスタートして人気のあるものをパッケージ向けにリバイスを掛けていくといった動きもこれから拡がっていくと考えられます。「もしもし」などとゲーム業界からは否定的に捉えられることもあった携帯電話・スマートホン向けアプリに対する認識が改められ、伝統的なパッケージゲームメーカーが、スマホ向けアプリやブラウザゲーム開発会社を買収するといった動きも加速していくでしょう。私も引き続きこの分野にも注目しておきたいと思います。

なお、7月下旬には西田宗千佳さんとセミナー(電子書籍スマートデバイスを中心に・有料)を行う予定です。
決まり次第サイトの方でも告知させていただきます。

新刊ちょっとだけ紹介「スマートデバイスが生む商機」

スマートデバイスが生む商機 見えてきたiPhone/iPad/Android時代のビジネスアプローチ」という本を出しました。本から幾つかの箇所を抜粋して内容をご紹介したいと思います。

スマートデバイスが生む商機  見えてきたiPhone/iPad/Android時代のビジネスアプローチ

スマートデバイスが生む商機 見えてきたiPhone/iPad/Android時代のビジネスアプローチ

スマートデバイスとは、スマートフォンスマホという略称を耳にすることも多くなりました)やタブレット端末などを指します。
iPad2が発売されたり、Android搭載のスマートフォンが多数発売され、その活用方法に注目が集まっているところです。
パソコンと異なり、薄く軽量で、起動が速くバッテリーの持続時間が長いこれらのデバイスは個人の生活を便利にすることはもちろんなのですが、ビジネスの在り方も大きく転換しようとしています。

実はこの本、「iPadでプレゼンを行う際のワザを紹介する」とか「タブレット端末で変わるコミュニケーションの事例を紹介しよう」とか、企画が二転三転しました。既に「○○活用術」といった本は沢山出ています。しかし、どうビジネスを変えるのか、ぶっちゃけ儲かるのか(笑)についてはまだまとまった論考がそう多くはありません。そこに集中して取り組みました。

まず書籍の中で最初に取り上げたのが、ドワンゴ取締役・慶応大学SFC教授の夏野剛さんです。
夏野さんには昨年から色んなテーマでたびたびお話を伺っているのですが、外でお会いするときにもiPadだけ抱えて登場されることが多いのです。

私のように、鞄にPCが入っていないと不安な人間からすると、「ホントに大丈夫なのか」と思えて仕方なく、今回の書籍の取材にかこつけて、ものすごく素朴な疑問をぶつけてみたわけです。

結論からいうと、「かなりの場面で何とかなる」ことと「でも一方でできないことも明確にある」と思えたインタビューでした。

その「できること/できないこと」の境界線をうまく取り払っているのが、次に取り上げたソフトバンクテレコムさんの事例です。

まだまだビジネスの現場では、Windowsが主流であり、いきなりタブレット端末に移行してしまっては、既存の業務システムと連携がとれなくなってしまいます。

そこに「仮想化」の仕組みを上手く取り入れ、簡単に言えば「iPadWindows環境にアクセスして、そのまま仕事が継続できる」仕組みを整えています。個人のレベルではリモートデスクトップWindowsにアクセスできることはよく知られていますが、支給する機器の第一候補からノートパソコンを取り払ったというのは、やはり革新的な動きだと言えるでしょう。

そして、スマートデバイスソーシャルメディアとの相性の良さを最大限活用したのが、セールスフォースのChatter。もともとは、セールスフォースの製品群の一環だったシステムが、Twitterの一般化と伴い、独立したソリューションとして歩き出す様子を語っていただきました。ビジネスモデルがフリーミアムに移行していったのも興味深いところです。

ユニクロック」で一躍有名となったビルコムさんにもお話を伺っています。実はタブレット端末を活用した施策が、事業領域の1つとして成立しつつあるというのは取材してはじめて知りました。「メディア」としてもスマートデバイスが成立しつつある、その端緒を知ることができます。

ゲームの分野ではバンダイナムコゲームスさんに、既存のパッケージメディアとの相違点を聞き、その価格差をどう捉えているのか、またグループ内でどのようなシナジーを図っているのかをかなりねちっこく聞きました。数千円の商品と、無料〜数百円のアプリとでは戦い方が全く異なること、従来の組織をそれにどう適合させようとしているのか、がある程度明らかになったと感じています。

そして「教育」。タブレットPCではなかなか進まなかった教育のデジタル化がiPadなどのスマートデバイスの登場によって急速に進むかも知れません。価格、バッテリーの保ちの良さ、コミュニケーションの取りやすさなど、その利点についてデジタル教科書教材協議会副会長でもある中村伊知哉さんや、携帯研究家としても知られる武蔵野学院大学准教授 木暮祐一さんにも語っていただいています。日本のデジタル教育、アジア各国に比べても本当に遅れていて、正直焦りを感じる取材でもありました。

そして、本書の構成とは前後してしまうのですが、シャープさんにGALAPAGOSの戦略を掘り下げて伺えたのも収穫でした。私もあちこちで書いているようにサービス、特にコンテンツのラインナップではまだまだ課題が残るGALAPAGOSですが、ハード面でAndroidベースのOSが果たした役割の大きさを知ることができました。

他にも、日本Androidの会会長の丸山不二夫さんにお話を伺ったり、iPadを回転寿司の注文端末として活用する狙いを聞いたり、スマートデバイスにまさに商機を見いだした若手企業家の想いを語ってもらったりと、てんこ盛りな内容になっています。

Chapter 1
スマートデバイス」登場のインパク
iPhone/iPad/Androidで何が起こったか?

1-1 iPadで具現化したスマートデバイスの存在感
1-2 スマートデバイスに至る系譜とiPhone/iPad/Androidの上陸
1-3 個人による使いこなし術から相次ぐ企業導入へ
1-4 iPadでたいていの仕事は片付く――夏野剛氏インタビュー

Chapter 2
業務改革を実現する端末としてのスマートデバイス
クラウド化・ソーシャル化に向かうオフィス

2-1 【ソフトバンクテレコムiPadシンクライアントで社員1人月4万3000円を削減
2-2 【セールスフォース・ドットコムスマートデバイスで加速する社内コラボレーションの価値
2-3 スマートデバイス「+α」が業務改革を成功させる
COLUMN 【丸山不二夫氏】「クラウドの恩恵」で開花するスマートデバイス

Chapter 3
対話・対面端末としてのスマートデバイス
〜コミュニケーション・チャネルの新たな選択肢

3-1 【ビルコム】売上全体の10%に成長した「ブランドマガジン」戦略
3-2 【クロスドリーム】決め手はコストパフォーマンス、注文端末としてのiPad
3-3 強力なマーケティングツールは顧客の手の中に
COLUMN 【ユビレジ】iPadが「月々0円からのPOSレジ」に

Chapter 4
エンターテインメント端末としてのスマートデバイス
〜メーカーに求められる「サービス」への対応

4-1 【バンダイナムコゲームス】アプリストアで始まった「経験したことのない戦い」
4-2 【シャープ】自らサービスまで手がけるハードウェアメーカーの挑戦
4-3 メーカーに「真のネット対応」を迫るスマートデバイス
COLUMN 【NEXT FUN】「百花繚乱」Androidタブレット

Chapter 5
デジタル教科書・教材としてのスマートデバイス
〜学びのデジタル化が生む新たな市場

5-1 急がれる魅力的な教材作り――中村伊知哉氏インタビュー
5-2 【武蔵野学院大学】先行する韓国、日本の大学におけるデジタル教育の今
5-3 学びの場にも訪れるクラウド化・ソーシャル化の波
COLUMN 【リンドック】「ソーシャルラーニング」を大学教科書で目指す

Chapter 6
スマートデバイス導入期に向けて
イノベーションの本質とプラットフォームへの対処

6-1 商機の源泉はコンピューティングの「拡張」
6-2 発展途上のプラットフォームとの向き合い方
6-3 競争と協調の中からビジネスを発展させるために

正直タイトルからは、ちょっとこの中身が想像しづらい本ではありますが、よろしければ手に取ってみていただければ幸いです。また、近々この本に関するイベントも予定しています。

ボランティアに(ようやく)行ってきました

3月11日の震災から早くも2ヶ月が経ちました。
ちょうどの執筆と重なり遅くなってしまったのですが、ようやくこの連休に被災地(宮城県東松島市大曲)でボランティア活動をしてきました。

http://goo.gl/maps/eZ5E

拠点となる大曲市民センターは津波で流されることはありませんでしたが、周囲はまだおそらく沖から流されてきたブイや、漁船が横倒しになっていて、震災直後とほとんど変わっていない様子。

執筆が一段落した隙間を縫って向かったため、あまり前知識なく現地入り。「もしかして、もうあまり作業残っていないかも」とやや不安だったのですが、そんなことは全く無く(実は場所によっては注意も必要なので、それは後ほど)、まだまだ沢山ありました。

津波による倒壊を免れた家の床下には、汚泥がたまっているのです。
厚さは10センチ以上。津波で流されてきた燃料油を含んでいて、ずっしりと重く、臭いもあるやっかいな代物です。
土嚢一つに土を一杯に入れると、持ち上げるだけでも一苦労です。

(原油流出事故で、海鳥が原油にまみれて動けなくなっている写真を見た方も多いと思います。あれが土にまみれているというイメージですね)

いま、津波の被害を受けた家では、みな床板を外して、この泥を撤去する作業に追われています。
臭いが酷い上に、これから夏になるとこの汚泥が乾いてバラバラになってしまい、いっそう取り除くのが難しくなるのです。

ということで、8人が1チームとなりひたすらショベルで泥を搔き出し、土嚢に詰めて瓦礫の集積場所に移動させます。
また、津波で畑に流されてきた家具を撤去したりもしました。

朝8時に集合、現地の作業は16時に終了。午前・午後で2軒の作業を終えてきました。

気仙沼のボランティアセンターでも、連休明けのボランティアを大募集していますが、テレビで流れるような激しい被害を受けた場所だけでなく、外見は無傷な住宅が手助けを必要としていることを痛感します。

こういった場所には自治体がボランティアを運ぶためのバスを手配しはじめています。
私が参加したのもそういったバスでの移動手段が用意されたものでした。仙台駅から海岸付近の被災地に個人に移動するのは時間や手間も掛かりますから、大変有り難いことだと思います。

今回はこちらのページをチェックしてこのボランティアを見つけることが出来ました。

宮城県災害ボランティアセンター http://msv3151.c-bosai.jp/

一つ失敗したのは、装備が完璧ではなかったことです。

同じページで服装と持ち物についても案内があったのですが、見落としていわゆる「軽登山」の装備で現地入りしてしまい、かなり服を汚してしまいました。泥がまだこれほど水分を残しているというのは想定外でした・・・。登山靴のお陰でガラスの破片の上でも平気ではありましたが。

かように結構な作業ですし、多くの活動拠点では食事・水も自分で用意しなくてはなりません。また電気や水道が止まっているところでは、トイレにもそれなりの覚悟が伴います。

しかし、辛いことばかりではありません。

作業を終え、市内に戻った後、仙台名物「牛タン」を食べて帰ることができました。
一汗かいたあと、また格別な味わいです。

仙台市内は、すっかり賑わいを取り戻しており(それでも観光客はかなり減っているとはタクシーの運転手さん談)、ボランティアのあとの観光にはほとんど支障ありません。仙台の牛タン、初めてだったのですが都内で食べるのとは全然違っていてびっくりしました。

被災地のお手伝いをし、その後現地で楽しむ(経済活動に貢献する)というのも有りだと思います。

ボランティアの中には仙台市内から来たという方もいました。被害を受けた人も汗を流しているのですから、私たちも機会を見つけて、動ける人はまずは理屈抜きで現地で活動に参加する――それが、CMで言っているような「ひとつになる」ということではないでしょうか。

「できること」はまだまだあります。

「経済を回す」とは何か?

「自粛反対」に合理性はない

計画停電の中、都内の夜は暗く、静かです。
今日は銀座近辺を歩いたのですが、飲食店はほぼ開店休業状態。

「経済を回せ」のかけ声のもと、「自粛・不謹慎」に反対すべく外食の回数を増やす方も居るようですが、しかしマクロに見ると外食とその周辺産業で回せる経済には限りがあります。

震災とその後の計画停電による経済損失(現時点で約20兆円と試算されています)に比べると、仮に例年通りに消費が行われたとしても焼け石に水です。
そして何よりも、同じ国のなかで2万人以上が死亡・行方不明になっている中、飲み食いにいつも以上におカネを使うというのは、相当図太い(←皮肉です)神経の持ち主でないと難しいでしょう。

とはいえ「景気のため」の自粛反対というのは心情的には理解できる部分もあるのですが、供給側に立つとやむを得ない事情というのもあります。

例えば昨日話題になったのは東京湾花火大会の中止を巡る議論でした。「震災後だからこそ(景気浮揚・意識高揚のためにも)実施すべし」という意見がTwitter上で多く聞かれましたが、実際のところ中止の理由は今現在、救援活動にあたっている警察・消防・海上保安庁との調整がとても行えるものではない、というものでした。

つまり、震災の影響は確実に被災地以外にも拡がっていて、物理的に自粛せざるを得ない場合もある、というのがこの一件からも分かります。消費者の側ではなく、供給側、たとえばイベント興行主の立場で少し考えれば理解できるかと思います。

需給両方のマインドが冷え切っている中で、それぞれを鞭打つことにどれほどの効果があるのか、正直理解できずにいます。

いまは「買い占め反対」を徹底すべきタイミング

いま「反対キャンペーン」を張るのであれば、「買い占め反対」を徹底すべき局面です。例えば、今日のワールドビジネスサテライトでは、こんな映像が紹介されていました。(画像引用)


乳児を抱える人たちが、ペットボトル入りの水を求めて大変な苦労をするなか、中高年の人たちが自由な時間を使って、悠々と水を買い占めていく様に戦慄を覚えました。先日の帰宅難民の際、「混乱もなく粛々・整然と帰宅した。日本人は素晴らしい」と評する意見もありましたが、これを「静かな略奪」と呼ばずしてなんと呼びましょう。Amazonには、エネループや自家発電機を定価の数倍で販売をはじめた業者もいます。売る側の倫理や正義感も問われる局面です。

いま、仮にネガティブキャンペーンを行うとすれば、喫緊の課題はこういった行為に対する反対の声をあげることではないかと考えます。

では経済は何で回すのか?

こちらの記事(巨大地震の経済的影響をどう考えるか:日経ビジネスオンライン )に詳しく述べられていますが、阪神淡路大震災後の経済を振り返っても、短期的な景気の落ち込みは避けようもない、というのが現実的な見方であろうと思います。

そして、その負けを取り返すのは中長期のスパンで見たときの「復興」に掛かっています。

今回の震災でも道路や建築物などの物理的なインフラが破壊されました。また、以前から諸外国に比べ遅れが指摘されていたITインフラ(※単に通信網ではなく、災害時にも役立つような統合的なITサービス)が十分機能しているとは言えません。震災から10日以上経っても、前回同様「避難所と各自治体で必要な物資のマッチングが行われていない」ことにもそれは現れています。

これらのインフラの復旧と再整備は大きな事業となっていかなければなりません。先ほどの記事でも中長期的にはこの復興事業が景気を上向かせると予測しています。

もっと言えば、前の震災後の神戸周辺がそうであったように、産業構造の組み替えがそこでは行われるはずです。仮に今回の震災で外食産業や娯楽産業が縮小したとしても、一方で別の産業で需要が生まれますし、それがより早く、スムーズに、できればその後の成長も伴う形で進行されなければなりません。

これはどこかで見た光景です。小泉政権下の「構造改革」ととてもよく似ています。
痛みも伴うし、中途半端に終われば痛みだけで終わってしまう。政治においてどのような意思決定が行われようとしているか、いつも以上に注視が必要になっていくでしょう。

しかし、それこそが「経済を回す」ということではないかと考えています。

不謹慎と無配慮は違う

東北関東大震災、その後の計画停電という事態になっています。
Twitterを見ていると、人々の心の動きが現れているようにも思えます。

通信環境がまだ回復するべくもない被災地の方々はTwitterを活用どころでは無いはずで、タイムラインは被災地の外にいる私たちの声が中心です。
イベントの自粛・延期に対して、経済活動をこれまで通り続けることこそが復興につながるという反応も多く見られます。
わたしも同じ意見です。

しかし、現実問題として人や物の移動がままならずキャンセルになるということもあり得ます。
興行の場合は、お客が入らなければ赤字になってしまうという主催者側の判断もあるでしょう。
自粛することを、批判するというのは益のないことだと感じます。

また、Twitter上では「復興につながる経済活動を続けること」を意図するあまり、敢えてTwitter上に喰ったり飲んだりする様子を扇情的に投稿する方が居ます。意図自体はよく理解できるのですが、やはり被災地の現状を慮っていただければと思います。

阪神大震災の数日後、わたしはボランティアとして神戸に入りましたが、まだ食事が普通にできる状態では全くありませんでした。
道の亀裂から溢れる水道水を被災した方がコップでバケツなどに移していた様子が強く印象に残っています。
電車でほんの30分ほどしか掛からない大阪駅についたとき、普段通りの光景が広がっていて目眩を覚えたのをよく覚えています。

いまIT業界では被災地もしくはその周辺で役立つサービスを不眠不休で立ち上げる人たちがいます。
メディアの方々も、情報を整理し正確に伝えることに汗を流しています。
普段通りの生活を送る、ということと遊んでその様子を投稿するのは違うということを強調しておきたいと思い、この記事を書きました。

<さらに追記>
どうも「不謹慎」問題への反応を見ていると、「無配慮な投稿をする」→「それを批判される」→「さらに無配慮な投稿をする」という連鎖反応になっているようです。批判も煽りもいずれもエネルギーの使い方としてはホトホト無駄ですので、イラッときたらアンフォローするのが良いかなと思います。

ミュート機能(一時的に特定のアカウントの投稿を見えなくする)を推奨いただくこともありますが、静かな省エネ型の抗議としてはアンフォローも有効ではないかと考えています。

そして、こういう時こそBLOGの出番かも知れません。苛立ちを誰にぶつけるでもなく、BLOGに書き殴るだけでもずいぶんと平常心を取り戻せます。
このエントリーもその一環ですね。

#2011.03.15 20:32 タイトルを変更しました。
#2011.03.16 15:46 さらに追記しました。

魔法少女まどか☆マギカ―それは「ぼくたちの」決断と選択の物語

※以下第9話放送後に書いており多少ネタバレをふくみます。

さて、大変な話題を呼んでいるまどか☆マギカについて、雑感を。

問題となった3話をきっかけに、様々な考察・謎解きが行われていますが、個人的には鏡の国のアリスをモチーフにしている云々はあまり関心がありません。謎で主題をカモフラージュしている、エヴァンゲリオンでも使われた手法だと思ってます。

ただし、エヴァではその主題が結局、少なくともテレビ版では描ききられることはなかったのですが、まどか☆マギカについては、すでに表出していて、それが視聴者の琴線に触れ、どうにも気になって仕方が無い作品になり得ているのではないかと考えています。

それは、決断と選択について、です。

決断も行動もしない主人公

魔法少女」という伝統的なモチーフによって、それは表面的には少女たちの物語として描かれていますが、やはり、視聴者が自らを投影できる作りになっていると見るのが妥当です。あとで述べるように、男性キャラクターに自己投影が難しくなった以上、魔法少女をもってくるしかなかったのだと思われます。(喪男が魔法使いになる話だとあんまり視聴率稼げないわけで)

そして物語のなかで、主人公まどかは少なくとも9話までは変身を遂げていません。マミさん→ほむら→さやか→杏子、とその時々のパートナーの後ろに控えて、最悪の状況を前に狼狽えるばかり。見ていてイライラするという反応さえあります。

しかし、まどかこそ、多くの視聴者の姿そのものである、というのがこの物語が突きつけているテーマでは無いでしょうか。

劇場映画「機動警察パトレイバー2」にこんなセリフがありました。

戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか
その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると

機動警察パトレイバー2 the Movie [Blu-ray]

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1993年(森田童子の「ぼくたちの失敗」がヒットした年でもあります)にこの作品が上映されたころは、まだ日本は世界に経済大国として認められており、これから失われることになる20年を予想していた人はまだ少数派でした。しかし、漠然とした先行きへの不安が世間を覆っていたのも事実で、東京を舞台に架空のテロ・クーデターを描いたこの作品は、当時の不安感をアニメで表現しきったことで支持されたと考えています。

さて、そこから18年が経ち、東京を舞台にした争乱が、もはやカタルシスを持ち得ないほど不安が日常化する中で、アニメは現実との交点を失っていきました。主人公に男性を置かなくなるどころか、登場人物から排除されていったというのはよく指摘されるところです。課題を解決し成長する物語に自己投影の手段を失っていったというのが現状でしょう。

その姿は、まどか☆マギカにおいて、決断しない主人公に重なります。大きな課題の掲出、友・メンターの喪失からの自己革新、そして課題の解決、というのがいわゆるハリウッドメソッドと呼ばれるストーリーの定番ですが、徹底してその逆を行く。そこには語り手の意図があるとみるのが自然です。

インキュベータは邪悪な存在なのか?

その主人公に決断(=契約)を迫るのがQBことインキュベータです。ネット上では悪者として叩かれまくっていますが、果たして邪悪と呼ぶべき存在なのでしょうか。

第9話で、少女達に契約を迫る理由が「宇宙から失われつつあるエネルギーを補完するため」であることが明かされました。その犠牲について事前に十分に説明されなかったことが、ずるい、として批判を集めている訳ですが、仮にインキュベータ氏の語ることが本当であれば、宇宙そのものの存続と数名の犠牲を天秤にかける話となります。

先ほど戦争をモチーフにしたセリフを挙げましたが、例えば現実世界でも軍隊における勧誘で、死ぬというリスクが最初に語られることはまずありません。そして、その説明をせざるを得ないとき、国家のための「尊い犠牲」であることが強調されるのです。インキュベータ氏はその範疇を越えた行為を行っているようには到底思えないのです。

私たち視聴者がインキュベータ氏に得も言われぬ不快感を感じるのは、契約という決断を迫る存在だからであり、一方それを阻止しようと献身的なほむらの人気が高いのは、モラトリアムを守ってくれる存在として映っているからに他有りません。

どこでどのような決断と選択を行えばグッドエンドにたどり着けるのか?

この物語がループするであろうことは、かなり早い段階から指摘されていました。ほむらは、繰り返されるこの物語の中で様々な選択を行っては失敗=バッドエンドに行き着いてしまい、何度もそれをやり直していることは想像に難くありません。

私たちがいま見守っている物語のルートでは、ほむらは徹底的に「まどかにインキュベータとの契約をさせない」という方針のもと行動をとっていると考えられます。しかし、9話までを見る限り、結果的にバッドエンドに突き進んでしまっているようです。

決断と選択の物語として、まどか☆マギカを捉えた際、やはり重要なのは、まどかの母親の「間違えればいい」というセリフでしょう。本来であれば、主人公まどかよりも、理知的な選択を繰り返してグッドエンドにたどり着けないほむらにこそ聞かせたいセリフです。

このセリフを聞いたあと、まどかはさやかのソウルジェムを投げ捨てるという行動に出て、結果大変なことになるわけですが、杏子が事の本質に気づくきっかけになったという意味では評価されるべき(=よいフラグが立った)ということなのかも知れません。

さて、ゲームならば、これは悩むところです。どこで誰がどのような選択を取れば良かったのだろうか?

この選択を重層的に行う事でしかグッドエンドに迎えられないことを思い知らされたゲームがあります。2009年に発売されたアドベンチャーゲーム428 〜封鎖された渋谷で〜」です。複数の登場人物に、ゲーム上の異なる時間帯で正しい選択を取らせなければ、グッドエンディングやその先に隠された真のエンディングにはたどり着けない仕組みに非常に悩まされました。

Spike The Best 428 ~封鎖された渋谷で~

Spike The Best 428 ~封鎖された渋谷で~

428で真のエンディングを見るには、登場人物たちに徹底的に憎悪から距離をおく――つまりそれは登場人物を危険に晒す――選択を取らせる必要があります。果たして、まどか☆マギカではどのような選択を取ればよいのか?時間を操作できるほむら自身がループさせている物語であることが明かされた後は、「鏡の世界」といった道具立ての考察から、決断と選択について視聴者の関心が移っていくのは間違いありません。

避けては通れない「犠牲」

人知を越えた存在であるインキュベータの目的を遂げさせないためには、登場人物の誰かが犠牲を払うことは避けられそうにもありません。ほむらが通常兵器で攻撃してもインキュベータは消滅しなかったことからも、誰かが(おそらく最強・最凶とされるまどか自身が)それ以上に人知を越えた力で、彼を打ち負かすしかないからです。つまり、それは契約をして魔女への化身が運命づけられた魔法少女になることでしか叶えられません。

このエントリーではその考察には踏み込みませんが、それを考えさせること自体に語り手の意図があるように思えます。

物語で徹底的な破局を描くことは、現実にその危機があることを私たちに思い起こさせ、そうならないための知恵を授けたり、行動を促すものです。劇場版エヴァンゲリオンまごころを、君に」では、スクリーンに劇場に座る「わたしたち」を投影するという手法で「現実に帰れ」という強烈なメッセージを残した(このあたりの考察は小黒さんのこの記事にきちんとまとめられている)わけですが、果たしてまどか☆マギカはどのような宿題をわたしたちに残してくれるのでしょうか?残り3話から目が離せません。

電子書籍ブームと動画ビジネスの黒字化

この記事は前回の続きです。

本書は、「電子書籍の立ち上がり」「黒字化した動画サイト3強」「ソーシャルメディアとポータルサービス」の大きく3つのテーマを扱っています。

なぜ、こういう構成になったかと言えば、たまたま取材を続けていたらそうなったから――ではなく(汗)、この3つのテーマはやはり関連性が高いと考えたからです。

2010年のITシーンは、電子書籍が大きく取り上げられましたが、個人的にはむしろこれまでずっと赤字経営を続けてきた動画配信サービスが黒字化したことが、かなり重要であったと感じています。

たとえば、USEN配下ではずっと赤字であったGyAOは、Yahoo!のもとで黒字化を達成しています。番組というコンテンツを第三者から調達し、広告をつけたり、課金をして回収を図るのがその基本的なビジネスモデルです。しかし、動画コンテンツの配信には巨額のインフラ投資が必要で、なかなか黒字化を図れなかった。

本書の元となったインタビューでは、ドワンゴの小林社長、夏野取締役、GyAOの川邊社長、YouTubeの徳生シニアプロダクトマネージャーといったキーマンに、「なぜ赤字なのか、どうやったら黒字化するのか」をしつこいくらいに聞いて回りました。(正直くどかったと思います・すみませんでした)

アスキー新書からは佐々木俊尚さんの「ニコニコ動画が未来を作る」が、ドワンゴの創業期からニコニコ動画のスタートまでを丹念に追った書籍として発行されています。「生き残るメディア 死ぬメディア」に収録したインタビューはちょうど四半期決算後で、期待されていたニコニコ動画が結局赤字に終わったタイミングで行われたものです。しかし黒字化直前のかなり自信を深めていた様子が、小林社長の言葉の端々に現れていて、いま読み返すと興味深いです。

つまり各プレイヤーの証言には、どうすれば黒字化するかというヒントがちりばめられていて、それは同じく「儲からない」とも酷評されつつある電子書籍にも通じる話では無いかと考えています。

本書にインタビューを収録した角川のBOOK☆WALKERのような垂直統合モデル、そして、先日赤松健先生に取材をしたJコミのような絶版を無料で再配布するモデル。単に書籍を電子化して、AppStoreなどに預けて販売するのとは、ひと味違ったモデルが動き出しつつあります。

共通するのは、調達、あるいは供給するコンテンツの量や傾向というよりずっと以前に、プラットフォーム設計に工夫を凝らし、かつそこに投資を続けたプレイヤーが勝つということです。取材を通じてそこはずっと意識して話を聞くようにしていました。その問題意識はその後登場したシャープの「GALAPAGOS」は、プラットフォームとしてみたときに果たしてどうなのか、という考察につながっていきます。

YouTubeに対し、独自の立ち位置を保持するGyaoニコニコ動画ですが、電子書籍の場合は果たしてどうなるのでしょうか?その趨勢はコンテンツ提供者である出版社にとっても大きな関心事と成っています。国産プラットフォーマーが黒字化した映像の分野に学ぶべき点は多いはずです。

と、この文章をまとめていたところ、たまたま、またマガジン航の仲俣さんから、ボイジャー萩野社長の本を頂きました。

電子書籍奮戦記

電子書籍奮戦記

萩野さんは映画業界の出身ですが、その経歴が、多くのプレイヤーが退場していった電子書籍業界にあって、いまなお生き字引的な存在たらしめていることが、この本からも良く分かります。私の経験はもちろん萩野さんには及びませんが、アプローチが似ていることは、著者として密かに嬉しく思った次第です。もちろん、萩野さんへのインタビューも本書では大切なパートを占めています。

電子書籍の成立にはソーシャルサービスとの連携が不可欠

ところで「ソーシャル」という言葉の定義には議論の余地がありますが、YouTubeにしてもニコニコ動画にしてもソーシャル性の高いサービスであり、その特色を活かしてユーザー数と収益機会を拡大してきました。

それに対して、電子書籍はまだその段階にはなく、ようやく紙というアトムの状態を脱して、電子書籍というビットの形に変化しつつあるに過ぎません。クラウドとかソーシャルに至る道のりはまだまだ長い、というのが現実的な見方ではないかと思います。

そこで本書では最後の章でソーシャルWebサービスについて、ページを割いて考えることにしました。「本もソーシャル化する」という意見もありますが、少なくともいくつかのステップを踏まなければそこにはたどり着けませんし、その間どう事業を継続するのかという関係者にとっては切実な問題もあります。1つの鍵はポータルサービスや検索と行った従来のサービスの再活用にあるという考えに立ってまとめたつもりです。

(次回「Webコンテンツが本というパッケージになる意味」に続きます)